目前分類:芥川龍之介の「歴史小説におけるエゴイズム」 (9)

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結論

研究動機で述べたように、芥川龍之介の作品を読んだ後で、作品の中の複雑な人性や人間の情けにとても、印象的であった。そのために、芥川龍之介の歴史物語におけるエゴウズムをもっと深く探究したいので、「芥川龍之介の歴史物語におけるエゴイズム」をテーマとして卒業論文を書き始めた。

まず、第一章では、芥川龍之介の初期時期の『羅生門』と『蜘蛛の糸』と『鼻』と『芋粥』と四つの作品で、「エゴイズム」の内実を究めた。

その結果、この四つの主人公には、二つエゴイズムを見られる。一つは利己主義で、もう一つは傍観者の利己主義である。

『羅生門』と『蜘蛛の糸』での中に、現われたエゴイズムは利己主義であったのに対して、『鼻』と『芋粥』での中に、現われたエゴイズムは傍観者の利己主義である。

さらに、第二章では、利己主義と傍観者の利己主義について究明した。

『羅生門』の中で、下人が老婆の言葉から悪への動力をもらって、盗人になったことにより、自分の生存のために、エゴイズムをして生きられることが明白した。

一方、『蜘蛛の糸』の主人公键陀多は自分の生存だけを考えたせいで、却って地獄へ返った。

そのゆえに、この二つの対照的な結果から見ると、エゴイズムは人間が生きるために、必要なことだと同時に、エゴイズムも他人を滅ぼすばかりでなく、自分も破滅される可能性があることが読み取れる。

そして、『鼻』と『芋粥』との主人公内供と五位はいつも、周囲の人に嘲笑された人である。内供は自分の外貌で他人に自尊心を傷けられてたので、色々な方法を試みた後、つい傍観者の利己主義に落ち込んだ。

しかし、内供は最後、他人の目から解放して、自分の価値を新しく生まれた。皆に迎えたために、振り回された悲惨な経験があって、やっと、新たな生き方を捜し出した内供に対して、五位は他人の嘲笑や悪戯にずっと平気な態度で面した。

しかし、五位は芋粥を飽けるために、返って傍観者の利己主義に巻き込まれた。

なぜかというと、五位は夢を完成したのに、自分の意志でも失ってきたからである。だから、この点から、傍観者のエゴイズムは確かに卑劣だが、やはり自分の意志に従って抵抗できることが明らかである。

最後、第三章では、芥川龍之介自身の人生とエゴイズムと作品との関連を捜し出した。その結果、芥川龍之介の恋愛経験により、エゴイズムを深く感じたことが分かった。だから、芥川龍之介が身を持って感じたエゴイズムを作品の主題としたことが明瞭した。本論文、「芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム」を通じて考察した結果から、人性のエゴイズムは人間の生まれた天性だと思われる。
さて、外国文学からの影響と、古典文学からの文学素養と、新文体の成熟を加えて、芥川龍之介の文学で見事に完成られたために、芥川龍之介が、大正文学を代表する作家だということもある。だから、芥川龍之介は大正時期、日本文学での重要な作家だと言えよう。その上に、芥川龍之介の作品を支配された「エゴイズム」は芥川文学を論ずなけらばならない一つの観点だと思われる。というのは、『羅生門』から『芋粥』にかけて、エゴイズムを焦点として見れば、芥川文学の歴史物語での一つの側面を窺えるからである。そこで、芥川龍之介の作品における「エゴイズム」を明らかにする本研究はそれなりの価値があると考えられる。そして、この研究した結果を通じて、芥川文学の深奥を台湾の人々に紹介したいと思っている。今後、本研究の成果を生かして、今回、研究内容に入れなかった後期の歴史小説との比較を研究課題としたい。

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第三章 エゴイズムと芥川龍之介との生い立ちのかかわり

 本論文で『羅生門』と『蜘蛛の糸』と『鼻』と『芋粥』とを中心に論じている。そして、この四つの作品の中に二点が見出せる。まず、この四つの作品は殆ど『今昔物語』から題材を得た作品である。第二、この四つの作品の主題は「エゴイズム」と「傍観者の利己主義」とを中心に展開している。だから、この二点から、「歴史物語」と「利己主義」とは芥川龍之介にとって、とても大切なことが明らかである。そうして、まず、芥川龍之介の幼年時代を見よう。

芥川龍之介は明治二十五年(1892)三月一日、東京市京橋区入船町に生まれた。(中略)龍之介の生まれた当時の築地入船町は、外人居留地になっていた。それゆえ、この町に日本人で家を構えていたのは、龍之介の家を含めてわずか三軒を数えるのみで、異国情趣の色濃くただよう町であった。彼は生まれて一年にもみたない短い月日をこの町で送ったにすぎない。しかし、この生まれた土地を懐かしむ心は年とともに、彼の胸裏に強くなっていったようである。後年の龍之介における異国的なものへの憧れは、この外人居留地に彼が生まれたということと無関係ではなかろう。

 この一文から、芥川龍之介の成長背景が明らかにした。そして、芥川龍之介の家庭情況を以下に示そう。

龍之介の生まれた年は、父が四十三歳の男の厄年、母が三十三歳で女の厄年にあたっており、いわゆる大厄の年の子であった。そのために、旧来の迷信に従い形式的に捨て子とされた。まだ封建時代の風習が強く残っていた当時としては、このような縁起をかつぐ習慣は、決して珍しいことではない。拾い親は、父親の旧友である松村浅二郎という人であった。龍之介は出生の第一歩において、たとえ形式的にせよ、一応親から捨てられたのである。(中略)龍之介の父敏三は、牛乳販売業者としての成功者の誇りをもった、激しい性格の人であった。そのような夫に仕えていた小心で内気な芥川龍之介の母にとって、長女初子を幼くして失ったことと、長男龍之介を捨て子の形式までして育てねばならなかったということはきわめて大きな苦しみであったろう。それらは堪えがたい重さをもって、彼女の肉体や精神をしめつけたに違いない。この不幸な母は龍之介を生んでから七ヶ月後に発病し、その後十年間、狂人として生きつづけた。この母の発狂は、龍之介にとって大きな通手であった。狂人の子であるという自覚は、やがて狂気の遺伝を恐れる心となり、彼の肉体の衰弱とともに次第に激しいを加えていったのである。

ここで、芥川龍之介の実家から養家への原因が明白である。一方、母の発狂のために、芥川龍之介に、大きな影響を与えたことも、この一文の中にはっきりに読み取れる。母の発狂のために、芥川龍之介は母の兄の家へ行ったことになった。そうして、芥川龍之介は養父母の家庭からどんな大きな影響を受けている事は次のようである。

母の発病のため、龍之介は本所区小泉町に住んでいた母の芥川道章に引きとられた。芥川道章は龍之介の伯父にあたり、家は代々お数寄屋坊主として殿中に奉仕していた、江戸時代から続く旧家であった。(中略)芥川家で龍之介を最も愛したのは、養父母より、むしろ伯母のふきであった。一生を独身で通したこの伯母は、彼を生みの母のように愛し育てた。幼時いつも抱寝してくれたのはこの伯母であり、乳の代わりに牛乳を飲ませてくれたのもこの伯母であった。そのかわり、この伯母によく似通っていた。顔かたちばかりではなく、心持の上でも彼はこの伯母と一番共通点が多かった。(中略)一方、江戸時代の迷信に生きる養父や養母から、あるいは伯母から、夏の夜の縁台で、寝る前の床の中でしばしば聴かされて育ってきた。さらにまた、家の本箱の中や、暗い土蔵の中の古い草双紙の挿し絵の中に怪奇の世界を見つけて育ってきた。この点から見れば、龍之介の作品のあるものに奇怪な趣味が色濃く流れているのは、生まれた性格的なものの外に、幼少の時に、このような怪奇の世界に触れた時の戦慄が、成人した後でまで消えずに残っていて、それが文学表現の中に流れ出たと解釈されよう。

 芥川龍之介の養家はお数寄屋坊主としての殿中だから、芥川龍之介は幼少の時から、養父と養母と一緒に歌舞伎に行ったことがあった。しかも、芥川龍之介の養父が俳句や南画や盆栽などに趣味が持ったから、その方面にも渡っていた。そんな関係で、芥川龍之介がだんだん画や俳句に渡り、漢文能力にも強く示したことにも、芥川龍之介は養家の雰囲気から大きな影響をもらった。それから、芥川龍之介の学生時代を以下に見よう。

龍之介は学校の授業では、特に英語と漢文に抜群の力を示した。(中略)五年生の時、校友会雑誌に寄せた『義仲論』は彼の中学時代の作品としては最もまとまったものであるが、特に彼の漢文と歴史の高い学力を示すものとして注目に値しよう。『義仲論』は中学生の作品とは信じられないほどの歴史への鋭い観察とたくみな文章からなり、単に漢文と歴史との総合学力を示しているだけではない。この『義仲論』一編に後の小説家龍之介誕生の可能性を見出すとともに、彼の文学的才能のあまりにも早熟な開花を見せ付けられるのである。

以上の内容から見ると、芥川龍之介の文学的才能が再び肯定できる。芥川龍之介は中学の時、『義仲論』を發表した。『義仲論』で、強く現われている力強い義仲に高く評価を与えたことから、芥川龍之介はこんな破壊力へ、大きな憧憬があることを読み出すことができる。だから、この憧憬は芥川龍之介の作品への影響も思える。次に、芥川龍之介の高校時代を見よう。

明治四十三年、龍之介は第一高等学校に入学した。(中略)久米正雄、菊池寛、恒籐恭、成瀬正一(中略)山本有三、土屋文明、(中略)秦豊吉、藤森成吉、豊島与志雄、山宮允、近衛秀麿らがいた。後年、文壇や学界に名を馳せたこれらの青年との接触は龍之介に色々な意味で感化を与えたことであろう。殊に、菊池、久米、松岡らが同級生にいたことは芥川龍之介の将来を決定する一つの要因となった。彼らの交友が、小説家龍之介の誕生の上に、大きな役割を果たしたことはいうまでもない。一高入学はそのまま小説家への道につながっていたのである。

 久米正雄、菊池寛、恒籐恭ら、これら人は殆ど大正時代での有名な作家達であった。芥川龍之介は高校時代から、様々な考え方を持った人々と一緒に学問が進んでいたことにより、違い思想に触れたことでも言える。それから、芥川龍之介の大学時代を以下のようである。

龍之介たちが大学へ入った年は耽美主義文学の最盛期であった。(中略)この耽美主義思潮の影響は、決して軽視できない。龍之介をはじめに、久米正雄も菊池寛も自然主義以上の感化を受けているのである。(中略)このように大学時代の龍之介は耽美派の文学に最も心を惹かれ、強くその影響を受けているのであるが、そのほかにも、森鴎外の感化を忘れてはならない。鴎外の作品中、特に大きな影響を与えたのは『諸国物語』である。(中略)この翻訳小説『諸国物語』は短編小説の新しい手法、新しい内容と様式を龍之介に暗示したという点で大きな影響を持つ作品集である。そのほか鴎外の歴史小説も龍之介に強い感化を与えており、文体の面でも鴎外と龍之介には似通った点が多いのである。後年、佐藤春夫は「芥川君はその門に出入した点では確かに漱石先生の弟子ではあるけれども、作品から重大な影響を受けたのは、鴎外先生の方が或は多からうと思へる程です」と語っているが確かにそのとおりである。

 ここから、芥川龍之介が森鴎外からの影響を受けたことは言うまでもない。この影響で、芥川龍之介は歴史物語に創作しはじめた原因だと思われる。そして、大学時代の芥川龍之介は友人久米正雄らからの鼓吹で、だんだん小説家の道へ始まった。そのために、第三次の「新思潮」は創作された。参加者は芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、山本有三、豊島与志雄らがいた。第三次「新思潮」の同人となって、小説の創作を試みたことは芥川龍之介の将来の進路を決定的な重要な事だと同時に、この時期に芥川龍之介にとって、大きな事件が芽生えかけていた。

芥川龍之介の初恋の相手は、彼の実家新原家の知り合いの家の娘であった。名前は吉田弥生といい、きわめて聡明な女性であった。順当ならば結婚にまで進んでところを、どういう理由でか、芥川家ではその結婚に反対で、彼女の家を龍之介が訪問することさえ喜ばないようになった。(中略)この初恋の破局は龍之介に深い痛手を与えた。彼はいまさらながら、養子であるわが身の不自由さを痛感したに違いない。そして、誰よりも愛する伯母に、誰よりも強く反対されたことによって、二人の間にある愛にもエゴイスティックなものを見出したであろう。龍之介は恋を捨てて、伯母への愛を取らなければならない。

元は、結婚したことは、家庭からの反対で中断した。その事件芥川龍之介に対して、極めて重要な事柄だと言える。しかも、その事件も芥川龍之介は人間のエゴイズムを痛烈に体験した。それから、「エゴイズム」という点について、芥川龍之介は恒藤恭宛への書簡には、以下の言葉を書かれた。

イゴイズムをはなれた愛があるかどうか。イゴイズムのある愛には、人と人の間の障壁をわたる事は出来ない。人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒す事は出来ない。イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない。周囲は醜い。自分も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのまに生きる事を強ひられる。一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪むべき嘲弄だ。僕はイゴイズムをはなれた愛の存在を疑ふ。

上記の内容から、恋愛というものは芥川龍之介にとって極めて深刻な問題だが見出すことができる。そして、この初恋が芥川龍之介にどんな影響をされに見よう。

愛そのものの中にもエゴイズムを認めざるを得ないほど深く自覚されるようになった。そして、ともすれば暗くなる気持ちと直面するのを避けるためにも、彼はことされ現実から目をそむけ、なるべくユーモラスな古典の世界に浸ろうとする傾向を強めていくのであった。

この悲しい初恋の経験を契機として、芥川龍之介は人性の醜悪を中心に作品を書き始めた。だから、芥川龍之介の成長背景や、養家の家庭や、学校時代の友達や、恋愛経験から、芥川龍之介へのどんな大きな影響は読み出せる。

まず、自分の母は狂人だの事実だので、芥川龍之介は自分の体にも狂人の遺伝因子がある恐れだと思った。次、封建時代の迷信だから、芥川龍之介は生家から離れなければならなく、養家に入った。しかし、養家に入っただけあって、芥川龍之介は江戸時代の風俗や習慣や、草双紙や俳諧や南画によく知っていた同時に、漢文能力にもその時に強くなった。 

そして、養父母と伯母から怪談や因縁話を子供時期から聴いて育ったきたために、怪奇な世界に触れた戦慄がよく作品に流れていた。それから、大学の時、森鴎外の『諸国物語』などの作品を読んだから、「歴史物語」と「短編小説」に大きな動機を起こしたことが思われる。最後、吉田弥生との悲しい恋愛があったので、芥川龍之介が「エゴイズム」という人性を徹して感じだと言うまでもない。  

そこで、以上の原因から、『羅生門』と『鼻』と『蜘蛛の糸』と『芋粥』との四つの作品の中に、『今昔物語』に対しての感動と、歴史物語から取り出したものに新しく、革命的な精神と、人性の醜悪を痛烈に抉っていた濃い利己主義とエゴイズムなどを流れていることにも意外ではないと思われる。


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第二章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズムの特徴

第二節傍観者の利己主義
 ここで、「傍観者の利己主義」を中心に論じている。傍観者の利己主義というものは確かに、微妙なものだと言える。『鼻』の主人公-禅智内供は異様に長い鼻があるのに対して、『芋粥』の主人公-五位はいつも、周囲から軽視を受けている。この二人主人公の共通点は皆の嘲笑な対象となっていることで共通している。『鼻』の内供の心理変化を次のように表(一)にまとめて見よう。

表(一)内供の心理変化
第一点鼻を粥の中へ落ちした話は、當時京都まで喧傳された。-けれどもこれは内供にとつて、決して鼻を苦に病んだ重な理由ではない。内供は實にこの鼻によつて傷けられる自尊心の為に苦しんだのである。(P59-60)
第二点內供は、自分が僧である為に、幾分でもこの鼻に煩される事が少なくなつたとは思つてゐない。內供の自尊心は、妻帯と云ふやうな結果的事実に左右される為には、餘りにデリケイトに出来てゐたのである。そこで內供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損をは恢復しようと試みた。(P60)
第三点內供は、いつものやうに、鼻などは氣にかけないと云ふ風をして、(中略)内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待つてゐたのである。弟子の僧にも、內供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに對する反感よりは、內供のさう云ふ策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであらう。弟子の僧は、內供の豫期通り、口を極めて、この法を試みる事を勸め出した。さいして、內供自身も亦、その豫期通り、結局この熱心な勸告に聽從する事になつた。(P61-62)
第四点しかし、その日はまだ一日、鼻が又長くなりはしないかと云ふ不安があつた。(中略)それから一晚寝てあくる日早く眼がさめると內供は先、第一に、自分の鼻を
第四点撫でて見た。鼻は依然として短い。內供はそこで、幾年にもなく、法華經書寫の功を積んだ時のやうな、のびのびした氣分になつた。(P64)
第五点池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しさうな顔をして、話も碌々せずに、ぢろぢろ內供の鼻ばかり眺めてゐた事である。(中略)用を云ふつかつた下法師たちが、面と向つてゐる間だけは、慎んで聞いてゐても、內供が後さへ向けば、すぐにくすくす笑ひ出したのは、一度や二度の事ではない。(P64)
第六点人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出來ると今度はこつちで何となく物足りないやうな心もちがする。少し誇張して云へば、もう一度その人を、同じ不幸に陷れて見たいやうな氣にさへなる。さいして何時の間にか消極的ではあるが、或敵意をその人に對して抱くやうな事になる。--內供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思つたのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍觀者の利己主義をそれとなく感づいたからに外ならない。(P65)
第七点そこで內供は日毎に機嫌が悪くなつた。二言目には、誰でも意地悪く叱りつける。(中略)殊に內供を忿らせたのは、例の惡戲な中如童子である。或日、けたたましく犬の吠える聲がするので、內供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片をふりまはして、毛の長い、瘦せた尨犬を逐ひまはしてゐる。それも唯、逐ひまはしてゐるのではない。內供は、中童子の手からその木の片をひつたくつて、したかその顔を打つた。木の片は以前の鼻持上げの木だつたのである。內供はなまじひに、鼻の短くなつたのが、反て恨めしくなつた。(P65-66)
第八点殆、忘れようとしてゐた或感覺が、再內供に歸つて來たのはこの時である。內供は慌て鼻へ手をやつた。手にさはるものは、昨夜の短い鼻ではない。(中略)內供は鼻が一夜の中に、又元の通り長くなつたのを知つた。さうしてそれと同時に、鼻が短くなつたと同じやうな、はればれした心もちが、どこからともなく歸
第八点つて來るのを感じた。--かうなれば、もう誰も哂ふものはないにちがひない。內供は心の中でかう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

 第一点と第二点は內供が長い鼻に悩んだ原因であることが明白になる。異様に長い鼻があったのは確かに生活に色々な不便をもらした。しかし、内供が困ったものはこの生活にの不便と外貌の醜悪ではなく、噂や別人からの眼光に傷けられた自尊心である。それから、内供の矛盾について説明した。内供は長い時間に佛に仕えて、自分の外貌の欠点に面して、外人からの噂を捨てるはずであるが、高僧とした内供は反って、別人の話に、気にしていた。だから、この点から、高僧になっても、人間の生まれた人性があるとわかる。すなわち、人間が皆からの噂や眼光を恐れている。それで、内供が消極的にも、積極的にも、色々な仕方を試みたい気持ちも同感する。
 第三点は内供が鼻を短くしたいが、良い仕方を聞いても、平気な振りをした。弟子から自分を勧める態度をした様子を歯切れよく描写した。読者もここで、内供が俗な、貧乏な心理状態と精神態度が見出せる。すなわち、弟子の「熱心な勸告に聽從する事」に似た態度をした事から見ると、内供が微かな自尊心を守りたい気持ちと、とても試みたい心情を隠す気持ちがよく分ってきた。第四点は漸く、鼻を短くした内供の心情を述べている。毎朝、起きた時、鼻が又、長くなった恐れを除いて、鼻が短い内供は毎日、のびのびした気持ちで、日を渡った。こんな内供は経を読んだりしても、お久しぶりの安心を得た。しかし、こののびのびした日は内供が意外な事実を発見してから、終わった。
 第五点は内供が気が付いた意外な事である。池の尾の寺を訪れた侍や、內供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子や、用をいいつかつた下法師たちなど、皆も一層可笑しい態度で、内供を見た。「今はむげにいやしくなりさかれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」と思った内供は皆の態度がよく分らなくなった。ここに、『鼻』の主題がある。「傍観者の利己主義」というものが皆の内供への態度に現れている。それは、「少し誇張して云へば、もう一度その人を、同じ不幸に陷れて見たいやうな氣にさへなる」のことである。だから、内供は鼻が短くしてから、のんびりした気持ちを失っていた。その代りに、毎日、機嫌を悪くしている。そうして、第七点の後で、内供はもっと短く鼻を恨んだ。その時の内供はもし、機会があれば、反って、元の長い鼻がほしがっている。ある夜、内供はなんか鼻がおかしい感じをする時、内供も平気でその感じをかまわない。翌朝、内供は平日の通りに起きた時、突然、殆ど忘れような感じをした。内供は自分の鼻に触れると、昔のように、異様な長い鼻が又顔に掛かっていた。内供はこの事実に、残念な気持ちがない。かえって「かうなれば、もう誰も哂ふものはないにちがひない」という気持ちで面した。上記の内容から、内供は自分の鼻は如何な様子で顔に掛かる問題がもう気にしなくなった事を読み出すことができる。すなわち、内供はもう外人の眼光をかまわなくなった。なぜかというと、昔の内供はいつも、別人の意見にあまり気にするために、自分が迷った。皆の目に振り回された。しかし、一旦鼻が長いとか、鼻が短いとか、どの情況にしても、皆の意に合えない事実を発見した内供も鼻の問題を構わなくなったからである。だから、「寺内の銀杏や橡が一晩の中に葉を落した庭は黃金を敷いたように明い。未だ、薄い朝日にの九輪がまぶしく、光っている」とは、他人の嘲笑から生じた新しい内供の考えを説明している。いつも、周囲の人々の目の下に生活した内供は「傍観者の利己主義」に深く傷付けられたと言える。しかも、読者にとって、生きている例だと思われる。
 それから、『芋粥』を見よう。『芋粥』の主人公五位はいつも、皆からの軽視を受けている。五位の心理過程は表(二)をまとめて見よう。

表(二)五位の心理過程
第一点五位は風采の甚揚らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、目尻が下がつてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけているから、顎が、人並はづれて、細く見える。唇は-一一、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上がつてゐたのである。(P18)

第二点侍所にゐる連中は、五位に対して、殆と蝿程の注意も払はない。有位無位、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、目を遮らないのであらう。(P19)
第三点それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じないほど、意気地のない、臆病な人間だつたのである。(中略)五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。(P19-20)
第四点この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれば、痛いでのう」と声をかけた。すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云は侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない」その子供は一足下りながら、高慢な脣を反らせて、かう云つた。「何ぢや、この赤鼻めが。」五位はこの語が自分の顔を打つたやうに感じた。(P22)
第五点始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空の椀とを等分に見比べてゐた。「おいやかな」「、、、、、、」「どうぢや」「、、、、、、」(中略)答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦にされさうな気さへする。彼は躊躇した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭さうな声で、(中略)彼は、それを聞くと、慌しく答へた。「いや、、、、忝うござる」この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや、、、、忝うござる」-かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。(P24-25)
第六点「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句を越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。-敦賀とは、滅相な。」五位は、殆どべそを掻かないばかりになつて、呟いた。もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へ独り帰つて来た事であらう。(P28)
第七点五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さへ頤使する野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へる暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになつた事を、心強く感じるだけである。-阿諛は、恐らく、かう云う時に、最自然に生まれて来るものであらう。読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間のやうな何物かを見出しても、それだけで妄にこの男の人格を、疑ふ可きではない。(P30)
第八点「何とも驚き入る外は、ござらぬのう」五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、呆れたやうに、口を開いて見せた。口髭には今、飲んだ酒が、滴になつて、くつついてゐる。(P33)
第九点我五位の心には、何となく釣合のとれない不安があつた。第一、時間のたつて行くのが、待遠い。そかもそれと同時に、やるの明けると云ふ事が、-芋粥を食ふ時になると云ふ事が、さう早く、来てはならないやうな心もちがする。さうして又、この矛盾した二つの感情が、互に剋し合ふ後には、境遇の急激な変化から来る、落着かない気分が、今日の天気のやうに、うすら寒く控へてゐる。(P34)
第十点どうもかう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。出来る事なら、何か突然故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、
第十点又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい。(P34-35)
第十一点さいして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食欲は、実に、此時もう、一半を減却してしまつたのである。(中略)これを、目のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。-五位は提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。(P36)
第十二点「芋粥に飽かれた事が、ござらぬげな。どうぞ、遠慮なく召上つて下され。」(中略)「父も、さう申すぢやて。平に、遠慮は御無用ぢや」利仁の側から、新な提をすめて、意地悪く笑ひながらこん事を云ふ。弱つたのは五位である。遠慮のない所を云へば、始めから芋粥は、一椀も吸ひたくない。(P36-37)
第十三点利仁の命令は、言下に行はれた。軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、与つたのである。五位は、芋粥を飲んでゐる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返つた。それは、多くの侍たちに愚弄されてゐる彼である。京童にさへ「何ぢや。この赤鼻めが、」と、罵られてゐる彼である。色のさめた水干に指貫をつけて、飼主のない尨犬のやうに、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ欲望を、唯一人大事に守つてゐた幸福な彼である。-彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。(P38)

 第一点からは、五位の外貌を述べている。「背が低い。それから赤鼻」など、それに、「余程以前から、同じやうな色の褪めた水干に、同じやうな萎した烏帽子をかけて」いる描写から、五位がとても貧乏な外貌とみすぼらしい様子が思える。だから、連中が五位に対して「殆と蝿程の注意も払はない」ほど、「空気の存在が見えない」ように、「目を遮らない」ことも想像できる。それから、第三点は五位がこれらの不公平な待遇を受ける反応である。五位は周囲の人々からの軽蔑されても、やはり平気でいる。「一切の不正を、不正として感じない」ほど、すこしも怒ってもいない。もし、同僚の悪戯がひどすぎるなら、五位は「笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔」で、「いけむぬのう、お身たちは」と言っただけである。そこで、五位は臆病な、意気地がない人だが分かる。
 ある日、五位は道で子供たちが犬を虐めた事を見た。たぶん、相手は子供だと思ったから、五位はこの犬に同情を寄せていて、口を開けた。「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれば、痛いでのう」と言ったが、子供の反応は第四点である。子供たちが「いらぬ世話はやかれたうもない」を話そうな目で、五位に「何ぢや、この赤鼻めが」と言った。この話を聞いた五位は怒るこtおなく、「自分の顔を打つた」を感じて、「恥をかいた」と思って、「きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠し」ながら、黙って離れた。このように、五位がとても弱い人である。しかし、そんな臆病な五位はある夢を持っている。これは芋粥に飽けることである。
ある日、五位はいつもの通り、外の仕達と一緒に、残肴を食べている。喉を潤すくらい程度の芋粥を飲んだ五位は自分に「何時になつたら、これを飽ける事かのう」と言った。五位が呟いた言葉を聞いた利仁は五位に「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう」という請求を提出した。それから、第五点は五位がこの話を聞いてからの反応である。「始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない」ように、五位は「例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔」で、この問題を考えている。利仁の提出に面した五位はやっと芋粥への欲に敵わないから、利仁と一緒に行った。しかし、利仁と行った五位は敦賀へ行かなければならないのを聞いた後で、第六点のことを話した。「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句を越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。-敦賀とは、滅相な」と言った五位は口で呟いた。実は、この内容から、五位が芋粥を食べるために、京都から離れた勇気は「芋粥を飽きたい」の希望から生じたことが分ってきた。しかも、「芋粥」は五位に対して、とても大切なものだと見える。その時、ある不思議なことが生じた。「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう」と言った利仁は、狐に客があるので、どんな用意をするかなどの話をした。この話を聞いた五位は口が閉じられないように、狐に言い付けた利仁を神様のように尊敬し始めた。そのために、五位の心で、利仁が自分と違って、大きな差別があるのは勿論なことだと信じてきた。その点から、五位もだんだん利仁に控えられたことが明白になる。だから、「それは、又、稀有な事でござるのう」や「何とも驚き入る外は、ござらぬのう」を言った五位の馬鹿な様子を想像にかたくない。
そうすると、やっと敦賀に着いた五位は京都から遠い道を急いだのに、芋粥があまり食べたくなくなった。この点についての説明は第九点と第十点である。「どうもかう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。出来る事なら、何か突然故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい」とそのものは五位の考え方である。その思い方を持っている五位は一杯な芋粥に面して、もう「芋粥を飽きる」欲が全然出せない。しかし、利仁が以下の話を言った。「父も、さう申すぢやて。平に、遠慮は御無用ぢや」と「これは又、御少食な事ぢや。客人は、遠慮をされると見えたぞ。それそれその方ども、何を致して居る」と言った利仁は意地悪くそう話した。口髭にも、鼻の先にも、冬とは思はれない程、汗が玉になって垂れている五位は一層に、弱く見えそうである。
上記の内容から、「遠慮のない所を云へば、始めから芋粥は、一椀も吸ひたくない」と思った五位はもう自分の意識で自分の欲を選ぶ権利がなくなったことを読み取ることができる。最後に、第十三点を見よう。利仁の命令により、狐は芋粥を飲み始めた。五位も皆の注意が自分から狐へ向けたので、芋粥を食べれない。五位はその狐を見た時、昔の自分を思い出した。以前の五位は皆の嘲笑を受けても、夢があるから、苦しくないという感じである。一方、芋粥の夢を追求する同時に、自分の価値も捨てられた。この点は『鼻』の内供と同じだと思われる。なぜというと、内供も周囲の人々の意見を迎えたいので、自分の価値をだんだん失ってきたからである。それに、五位は自分の夢を追ったが、その夢は想像の通りに美しくないと気が付いた。それに対して、内供は様々な仕方を試みた最後、漸く短くした鼻を反って怨んできた。こうしたことから窺えるように、内供と五位とは二人も自分の願いが叶った後で、元の夢に失望した。この点について、吉田精一は「例によつて新奇で滑稽なもとの話を一方では忠実に辿りながら、その裏に人生に於ける理想なりは、達せられない内に価値があるので、それが達せられた時には、理想が理想でなくなつてしまひ、却つて幻滅を感じるばからだといふ、人生批評を寓したのである 」と言っている。
そうして、内供は夢の破滅に面して、傍観者の嘲笑から成長しつつあった最後、自分の価値を漸く捜し出した。一方、五位はやはり、皆の嘲笑に生活している。だから、「庭は黃金を敷いたやうに明い。(中略)九輪がまばゆく光つて」いる事と「笑ふのか、泣くのか、わからないやうな顔」をした事のどちらかを選ぶ権利は実は、やはり自分にあるのではないか。

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第二章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズムの特徴

第一節 自分自身のエゴイズム
 芥川龍之介の作品は、従来、人性の醜悪を中心に論じている。特に、人間が自身の生存についての時、自然に表させるエゴイズムである。ここで、『羅生門』と『蜘蛛の糸』との二つ作品の中でのエゴイズムをまとめる。まず、『羅生門』の下人の心理変化を表(一)にまとめて見よう。
表(一)下人の心理変化
第一点選ばないとすれば—–––下人の考へは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やつとこの局所へ逢着した。(中略)その後に來る可き「盜人になるより外には仕方がない」と云ふ事を、積極的に肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。(P52)
第二点その髪の毛が、一本づ拔けるのに從つて、下人の心からは、恐怖が少しづ消えて行つた。さうして、それと同時に、この老婆に對するはげしい憎惡が、少しづ動いて來た。─いや、この老婆に對すると云つては、語弊があるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感が、一分每に強さを増して來たのである。(P54)
第三点この時、誰かがこの下人に、さつき門の下でこの男が考えてゐた、饑死をするか盗人になるかと云ふ問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であらう。(P54)
第四点成程な、死人の髮の毛を拔くと云う事は、何ぼう惡い事かもしれぬ。ぢやが、こにゐる死人どもは、皆、その位な事を、されてもい人間ばかりだぞよ。(中略)これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの。(中略)その仕方がない事をよく知つていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。(P56)
第五点しかし、之を聞いてゐる中に、下人の心には、或勇気が生まれて來た。それは、さつき門の下で、この男には缺けてゐた勇氣である。さうして、又さつきこの門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然、反對な方向に動かうとする勇氣である。下人は、饑死をする盜人になるかに、迷はなかつたばかりではない。その時のこの男の心もちから云へば、饑死などと云ふ事は、殆、考へる事さへ出来ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。(P57)

 第一点から見れば、生活を支える方法を失った下人は、自分の未来を考えていたことがわかる。いくら考えても、最後、まとめた結果に面している下人はこの思い方があっても、勇気が出できない。下人が勇気が出されない原因はたぶん道徳を縛り付けたと思われる。
それから、第二点と第三点を見よう。その時、下人は老婆に会った。死人の髪を抜いた老婆を見た下人は自然に憎悪感が湧いてきた。それにも関わらず、この情景を見た後で、下人の内心で、前の時、「盗人になろう」とその考えも一瞬間に消えてしまった。それに代わりに、下人は思わず「飢死」を選んだその感情は人間として生まれつきの正義感だと言える。
しかし、下人は老婆のもっともらしい理屈を聞いた後、やはり、老婆の言い方に押し付けられた。第四点は老婆の見方である。老婆が死人の髪を抜いた事は確かに、悪い事だが、「これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの」というもっともらしい、有力な言い訳で下人を説得した。その話を聞いた下人は自分の考え方を守り切れなくなり、反って、老婆の理由に賛成して、「飢死」と「盗人」との間に、「盗人」を堂々に選んだ。この点について、勝倉壽一は以下のように説明している。

   過去の道理·習慣の束縛から脱し得ていない下人の側であり、老婆の言辞に「許し」と読み得る契機が存在したとしても、それは自己の生死を支配している下人の安直なモラルを満足せしめる計算にに立つものでしかない。老婆の論理の陥Ωに落ちて、老婆の論理を奪い取った自己満足と、「許される」という自覚を得たとき、彼は決定的に「黒洞々たる夜」を宰領する老婆の支配下に落ちたのである。

 この文から、下人の心理変化が明らかに見える。ここで、下人は老婆から悪へと動き出す力をもらって、盗人になった事が明白になった。実は、下人は心で自分の将来に関しての生存手段をもう探し出した。しかし、この道徳に違反する行為ができない。そんなに彷徨している下人は「これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの」と言った老婆に会った後で、老婆の言葉に引き出された。もし、下人が老婆が死人の髪を抜いた動作を見た後、自然に、心から「あらゆる惡に對する反感が、一分每に強さを増して來た」ものは人間の生まれた「善」だということに対して、すぐ、老婆の言い訳に従って、老婆の論説から「許す」ような、「正当な理由を得た」ような、自分の立場が間もなく変ったのは人間の生まれた「悪」である。なぜかと言うと、これは、下人は「何の未練もなく、饑死を選んだ事」との正義感をよく持たれないで、過去の道徳を守れないで、盗人になった証拠だからである。その後の生活に密切な関わりがあるので、一瞬に迷っても、生存のために、悪の事をするのは「仕方がない」ものだという利己主義、エゴイズムに巻き込まれた。だから、下人の反応を見たら、エゴイズムは人間の生まれた本能だと見出すことが出来る。それから、『蜘蛛の糸』を見よう。『蜘蛛の糸』の主人公は键陀多である。键陀多は悪の事をした悪人である。そこで、键陀多が死んでから、地獄へ落ちた。次に键陀多が地獄から脱出した過程を表(二)を以下に示そう。

表(二)键陀多が地獄から出る過程
第一点この键陀多と云ふ男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒でございますが、(中略)小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這つて

第一点行くのが見えました。そこで键陀多は早速足を挙げて、踏み殺さうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違ひない。その命を無闇にとると云ふ事は、いくら何でも可哀さうだ。」と、かう急に思ひ返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやつたからでございます。(P109)
第二点遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながち、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。键陀多はこれを見ると、思はず手を拍つて喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄から抜け出せるのに相違ございません。(P110-111)
第三点所がふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方所には、数限もない罪人たちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうぬ、やはり上へ上へ一心によぢのぼつて来るではございませんか。(P111)
第四点自分一人でさへ斬れさうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪へる事が出来ませう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼつて来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません。(中略)今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまふのに違ひありません。(P111)
第五点そこで键陀多は大きな声を出して、と喚きました。その途端でございます。今まで何ともまかつた蜘蛛の糸が、急に键陀多のぶら下つてゐる所から、ぶつりと音を立てて断れました。ですから、键陀多もたまりません。あつと云ふ間もなく風を切つて、独楽のやうにくるくるまはりながら、見る見る中に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。(P112)

 第一点から見て、键陀多は一切の悪の事をした大悪人だと分かった。しかし、人を殺したり、家に火をつけたりしたことはもちろん、小さいな蜘蛛を殺した時、反って、「蜘蛛は小さいな蜘蛛だが、生存の権利があった」という道理を思い出した。この点から、どんなに残酷な人でも、少し慈悲心がある。すなわち、人間として、心の中に微かな「良いもの」がきっとある。『羅生門』の下人が老婆が死人の髪を抜いた情況を見てから、湧いた悪に対する反感という道理と同様に、、『蜘蛛の糸』の键陀多は人間の生まれた「善」という慈悲心を持っている。
そうして、键陀多もこの珍しい慈悲心のおかげに、地獄から脱した機会をもらった。この銀色の蜘蛛の糸を見たばかり、键陀多が頭に浮んだ思いはこの糸に沿って、地獄を脱走できることである。だから、糸を掴んでいる键陀多は地獄から逃げる途中に、ふっと自分の下に、罪人達もこの蜘蛛の糸を登ってきでる情景を見た。それを見た键陀多はすぐ、蜘蛛の糸がそんな細いのに、いっぱいの人が上ったら、この糸はきっと切れるに違いないと感じた。「もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼつて来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません」ということを思うと、思わずに、声をかけた。「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼつて来た。下りろ。おりろ」と言った。そして、話を言い終ると、蜘蛛の糸が断れた。键陀多は又、地獄へ返った。键陀多は蜘蛛の糸が切れる恐れがあると思って、口から「下りろ」と言ったが、蜘蛛の糸は反って、键陀多の話のために断れた。だから、蜘蛛の糸はお釈迦様から键陀多への試験だと言えるかもしれない。しかし、この試験は键陀多にとって、あまり厳しすぎる。人々がそんな細い蜘蛛の糸を上っていて、誰にも、この状況を見ると、糸が切れる恐れがあると感じでいる。況して、键陀多もこの糸を掴んでいる。そのために、键陀多がまず、自分のことだけを考えるという反応を示した。键陀多の反応により、人間としての自分自身のエゴイズムの証拠だと見られる。键陀多の反応が『羅生門』の下人が老婆の論点を聞いた後、すぐ、巻き込まれた道理と同様に、自分の生存こそ一番大切なものである。自分の生存に関して、「これをしなければ、生けないから、これは仕方がないことだ」という訳で、悪の道へ歩いても、醜悪の事をしても構わない。だから、键陀多の口から脱した「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼつて来た。下りろ。おりろ」と言った話は一番人間のエゴイズムが代表できるものではないか。

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第一章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第四節『芋粥』をめぐって
 『芋粥』の主人公は「五位」である。『芋粥』の中で人間の愚さか、悲しさと生活の空しさを題材として論じている。「五位」はいつも、周囲の軽蔑を受けて生活している。まずは五位の外貌から見よう。

   五位は風采の甚揚らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、目尻が下がつてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけているから、顎が、人並はづれて、細く見える。唇は-一一、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上がつてゐたのである。
  この男が、何時、どうして、基経に仕へるやうになつたのが、それは誰の知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪めた水干に、同じやうな萎した烏帽子をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確かである。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたと思はれない。(五位は四十を越してゐた。)

 以上によれば、「背が低い」と「赤鼻で、目尻が下がつてゐる」と「口髭は勿論薄い」と「頬が、こけているから、顎が、人並はづれて、細く見える」、「唇は-一一、数へ立ててゐれば、際限はない」から見て、五位は確かに外貌の方面に色々な欠点を持っている。それだけでなく、「同じやうな色の褪めた水干に、同じやうな萎した烏帽子をかけて」いる様子から、五位はみずぼらしく、たらしい人のように見える。それで、周囲の人達に差別されていることも自然に思われる。以下は周囲の人が五位に対しての態度である。

   侍所にゐる連中は、五位に対して、殆と蝿程の注意も払はない。有位無位、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、目を遮らないのであらう。(中略)彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表現の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。人間に、言語があるのは、偶然ではない。従つて、彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思つているらしい。そこで彼等は用が足りないと、その男の歪んだ揉烏帽子の先から、切れかかつた藁草履の尻まで、万遍なく見上げたり、見下ろしたりして、それから、鼻で哂ひながら、急に後を向いてしまふ。

 「殆と蝿程の注意も払はない」、「不思議な位、冷淡を極めてゐる」、「五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない」と「空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、目を遮らないのであらう」などは別人が五位に対する態度である。侍所にいる連中は話さえ五位としない程、五位を軽視している。同僚達がそうだけでなく、ひどすぎる悪戯も始めた。そして、同僚達の悪戯が見られる。

   所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を翻弄しようとした。年かさの同僚が、彼の振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂興言利口の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ脣の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚、性質の悪い悪戯さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝の酒を飲んで、後へ尿を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡、想像される事だらうと思ふ。

上の描写から見れば、同僚達の中に五位の地位が非常に低い事は言うまでもない。それから、これらの軽蔑を受けた五位の反応は次のようである。

   それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じないほど、意気地のない、臆病な人間だつたのである。(中略)五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、嵩じすぎて、髷に紙切れをつけたり、太刀の鞘に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけむぬのう、お身たちは」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或るいぢらしさに打たれてしまふ。

人間は外の人から軽視や軽蔑を受けたら、不服と抵抗などの反応は一般的であるが、主人公「五位」は逆に、黙って受けていて、怒るなどのは殆どしない。それらの卑劣な悪戯に対して、「全然無感覚」で、「何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない」態度を持った。この点について、勝倉壽一は悪意を込めた周囲の人間達の悪戯に対しては、臆病な五位は「笑ふのか、泣くのか、わからない笑顔」に隠しながらも、「いけぬのう、お身たちは」という精一杯の抗議の声を発することが出来た。だが、彼の生を奪ったものが、憐憫や好意であり、幼稚な悪戯心であるとき、被害者は怒ることも泣くことも出来ない 」と指摘した。周囲の人が五位の反応を見た後で、意気地のない、臆病な五位だと思う事は不思議な事ではないと思われる。それにしても、五位はやはり僅かな勇気を出した時がある。それから、その場合はどうかを以下の描写から見よう。

   或日、五位が三条坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集つて、何かしてゐるのを見た事がある。「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処かから迷つて来た、尨犬の首へ縄をつけて、打つたり殴いたりしてゐるのであつた。臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれば、痛いでのう」と声をかけた。

ここは五位が殴られた犬を見た時、声をかけた場面である。たぶん、犬を殴った人は子供かもしれないからと思っているので、犬を救う事を試みたかった。この点について、勝倉壽一は「路上で尨犬を虐める悪童らに向かって、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれば、痛いでのう」と生涯で殆ど唯一の「勇気」を奮いおこして言った時、彼は確かに世間に「打たれ」る自らの「痛」みをも語っていたはずである 」と述べている。しかし、相手は子供だけが、やはり、五位の気持ちを挫かせた。それは次のようである。

すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云は侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない」その子供は一足下りながら、高慢な脣を反らせて、かう云つた。「何ぢや、この赤鼻めが。」五位はこの語が自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。勿論彼はそんな事を知らない。知つてゐたにしても、それが、この意地気のない五位にとつて、何であらう。

 本は、相手は子供だと思った五位は、依然、鼻を折った。「上眼を使つて、蔑すむやうに」五位を「いらぬ世話はやかれたうもない」と見て、「いらぬ世話はやかれたうもない」と言い出した。この話を聞いていた五位は却って、「自分の顔を打つたやうに」感じであった。黙って帰ったのは五位が唯、出来ることである。こんな五位は、来る日も来る日もいつも軽蔑されて生活しているが、実は、五位の心に、ある小さい希望を持っている。それは以下のようである。

では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生まれて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない、五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。(中略)吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉を沾すに足す程の少量である。そこで芋粥をあきる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。(中略)五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。

「芋粥を飽きたい」というものは五位が唯、一つの願いである。五位は毎年、芋粥を食べる機会があるが、少量の芋粥だけあるから、五位はいつも、痛烈に飲めなかった。その時の五位は、自分に属する芋粥を飲んでしまった後、「何時になつたら、これを飽ける事かのう」と小さい声で呟いた。それは以下のようである。

   「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな」五位の語が完らない中に、誰かが、嘲笑つた。錆のある、鷹揚な、武人らしい声である。(中略)声の主は、その頃同じ基経の恪勤になつてゐた、民部卿時長の子藤原利仁である。(中略)「お気の毒な事ぢやの」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう」始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空の椀とを等分に見比べてゐた。「おいやかな」「、、、、、、」「どうぢや」「、、、、、、」(中略)答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦にされさうな気さへする。彼は躊躇した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭さうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。彼は、それを聞くと、慌しく答へた。「いや、、、、忝うござる」この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや、、、、忝うござる」-かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅を盛つた窪坏や高坏の上に多くの揉烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。「では、その中に、御誘ひ申さう」さう云ふながら、彼は、ちょいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「、、、しかと、よろしいな」「忝うござる」五位は赤くなつて、吃りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑しさうに広い肩をゆすつて、哄笑した。

 ここで、第二の主人公-利仁が登場した。利仁は「肩幅の広い、身長の群を抜いた逞しい」大男である。『芋粥』で、利仁を「この朔北の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。」と説明している。だから、利仁は五位を笑う事も可笑しくないと思われる。利仁が「軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声」で「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう」という話を聞いた五位は「いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない」ようにあまり信じられないで、「はい」と肯定な答えに決まりを付けない。しかし、五位はやはり自分の長い時間での願いに違反しないために、「何時までも、椀と利仁とを、見比べて」いて、漸く「いや、、、、忝うござる」と答えた。この答案に、皆も哄笑して、「いや、、、、忝うござる」と五位の声を真似た人さえもいた。以上の内容から見れば、五位は又、皆に冗談をした事は言うまでのない。五位が呟いたことを聞いた利仁は五位に、極めて吸引力がある誘いを提出した。少し躊躇したが、五位は自分の心と相違しなく、「忝うござる」と吃った声で答えた。皆に笑われても、五位も構わないで、「芋粥」というものに集中して自分の世界に落ち込んだ。その時、五位の気持ちは次のようである。

五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子の炙いたのがあつても、箸をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手を膝の上の置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつた鬢の辺まで、初心らしく上気ながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。

 そうすると、利仁と誘われた五位とは芋粥を食べるために出発した。「物静に晴れた日」で、「加茂川の河原」に沿って、「芦毛」に乗った五位は「月毛」に乗った利仁に「どこへ行く」と聞いて、「栗田口辺」という返事をもらった。けれども、栗田口辺を通り過ぎて、やはり乗っていた五位は再び利仁に聞くと、「山科」という答えをもらった。それから、やっと山科に着いた利仁と五位は昼食を終った後、又馬に乗って、道を急いだ。この時、五位に聞かれた利仁はやっと終点を話し出した。それから、利仁と五位との間の話は以下のようである。

利仁は微笑した。悪戯をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向かつてするやうな微笑である。鼻の先へよせた皺と、目尻にたたへた筋肉のたるみとが、笑つてしまはうか、しまふまいかとためらつてゐるらしい。さいして、とうとう、かう云つた。(中略)「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句を越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。-敦賀とは、滅相な。」五位は、殆どべそを掻かないばかりになつて、呟いた。もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へ独り帰つて来た事であらう。(中略)すると、利仁が、突然、五位の方をふりむいて、声をかけた。「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう。」

 五位からの断らずにした質問に、利仁はやっと微笑して、悪戯をしたように話し出した。芋粥を飽きる事を手段として、五位を京都から騙し出してしまった。一方、芋粥を飽きるために、利仁につれて、一心に辿っていた五位は、そんな遠い所へ行かなければならないと思い出すと、芋粥のために湧いた微かな勇気も一瞬に失った。その時、馬に乗りながら観音経を口の中に念じ上げた五位は「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう」という利仁の話を聞いた。そして、次の場面を見よう。

「これ、狐、よう聞けよ。」利仁は、狐を高く眼の前へつるし上げながら、わざと物々しい声を出してかう云つた。「其方、今夜の中に、敦賀の利仁が館へ参つて、かう申せ。『利仁は、唯今俄に客人を具して下らうりする所ぢや。明日、巳時頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣はし、それに、鞍置馬二疋、牽かせ参れ。』よいか忘れるなよ。」云ひ畢ると共に、利仁は、一ふり振つて狐を、遠くの叢の中へ、抛り出した。

 突然、声を出した利仁は間もなく、狐を捕った。そして、「これ、狐、よう聞けよ。其方、今夜の中に、敦賀の利仁が館へ参つて、かう申せ。『利仁は、唯今俄に客人を具して下らうりする所ぢや。明日、巳時頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣はし、それに、鞍置馬二疋、牽かせ参れ。』よいか忘れるなよ。」と言い終り、狐を放った。この情景を見た五位はどう考えたか。その考え方は次のようである。

五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さへ頤使する野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へる暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになつた事を、心強く感じるだけである。-阿諛は、恐らく、かう云う時に、最自然に生まれて来るものであらう。読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間のやうな何物かを見出しても、それだけで妄にこの男の人格を、疑ふ可きではない。

 この場面を見た五位は開いた口が塞がらないままに、尊敬した態度で利仁を神様のように見始めた。いつも軽視された生活した五位は、この事に会った後で、考える時間もなく、思わずに利仁の行為に引かれたから、自分と利仁の間に大きな差別があると五位の心で深く考えている。その考え方を持っている五位は自然に、一心不乱に利仁を信じている。そして、五位と利仁が着いた状景は以下のようである。

   此処まで来ると利仁が、五位を顧みて云つた。「あれを御覧じろ。男どもが、迎ひに参つたげでござる。」(中略)「夜前、稀有な事が、ございましてな。」二人が、馬から下りて、(中略)「何ぢや。」利仁は、郎等たちの持つて来た篠枝や破籠を、五位にも勤めながら、鷹に問ひかけた。「さればでございます。夜前、戌時ばかりに、奥方が俄に、人心地をお失ひなされましてな。『おのれは、坂本の狐ぢや。今日、殿の仰せられた事を、言伝てせうほどに、近う寄つて、よう聞きやれ。』(中略)『殿は唯今俄に客人を具して、下られようとする所ぢや。明日未時頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣はし、それに鞍置馬二疋牽かせ参れ。』と、かう御意遊ばすのでございまする。」「それは、又、稀有な事でござるのう」五位は利仁の顔と、郎等の顔とを、仔細らしく見比べながら、両方に満足を与へるやうな、相槌を打つた。「それも唯、仰せられるのではございませぬ。さも、恐ろしさうに、わくわくとお震へになりましてな、『遅れまいぞ。遅れば、おのれが、殿のご勘当をうけならぬ。』と、しつきりなしに、お泣きになるのでございまする。」(中略)「如何でござるな。」郎等の話を聞き完ると、利仁は五位を見て、得意らしく云つた。「利仁には、獸も使はれ申すわ。」「何とも驚き入る外は、ござらぬのう」五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、呆れたやうに、口を開いて見せた。口髭には今、飲んだ酒が、滴になつて、くつついてゐる。

高島にやっと着いた五位と利仁は、利仁が言った通りに、郎等が迎える同時に、二匹の馬を用意した情況を確かに見た。それから、郎等は五位と利仁とに、「夜に可笑しい事を話した。これは奥方が自分の意志を失って、狐の話し方で「明日未時頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣はし、それに鞍置馬二疋牽かせ参れ。遅れまいぞ。遅れば、おのれが、殿のご勘当をうけならぬ」などを言った。この対談を聞いた五位は「それは、又、稀有な事でござるのう」を話さなければならなかった。そう話した五位は最後に、「何とも驚き入る外は、ござらぬのう」を言いながら、呆れた様子をしたことも忘れなかった。上記の内容から見れば、五位このいつも皆から軽蔑を受けた男に深く同情に寄せたと思われる。同情を寄せる原因は軽蔑されることではなく、五位の愚かだからである。そこで、この作品の主題である人間の愚かさを見出すことが出来る。次に、五位が敦賀に来た部分を見よう。

   雀色時の靄の中を、やつと、この館へ辿りついて、長櫃に起こしてある、炭火の赤い焔を見た時の、ほつとした心もち、(中略)直垂の下に利仁が貸してくれた、練色の衣の綿厚なのを、二枚まで重ねて、着こんでゐる。それだけでも、どうかすると、汗が出かねない程、暖かい。そこへ、夕飯の時に一杯やつた、酒の酔が手伝つてゐる。

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第一章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第三節 鼻をめぐって
 『鼻』の主人公は禅智内供である。この内供は寺院の高僧であり、しかも、この内供は特別な鼻があるので、有名人になった。一方、内供はこのことに、大変困っている。なぜかというと、この鼻が長すぎて大変な不便だからである。以下は内供の長い鼻のために感じ不便さに関する内容を見よう。

   そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ座らせて、飯を食ふ間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げてゐて貰ふ事にした。しかしかうして飯を食ふと云ふ事は、持上げてゐる弟子にとつても、持上げられてゐる内供にとうっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代わりをした中童子が、嚏を拍子に手がふるへて、鼻を粥の中へ落ちした話は、當時京都まで喧傳された。-けれどもこれは内供にとつて、決して鼻を苦に病んだ重な理由ではない。内供は實にこの鼻によつて傷けられる自尊心の為に苦しんだのである。

 以上のように、内供が困る理由は明白である。寺院の高僧としての内供がこんなおかしい鼻に困ったが、本当は自尊心が傷けられるである。その同時に、内供もこの鼻によって引き起こした噂に気にする。その部分は次のようである。

   池の尾の町の者は、かう云ふ鼻をしてゐる禪智內供の為に、內供の俗でない事を仕合せだと云つた。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思つたからである。中には又、あの僧だから家出したのだらうと批評する者さへあつた。しかし內供は、自分が僧である為に、幾分でもこの鼻に煩される事が少なくなつたとは思つてゐない。內供の自尊心は、妻帯と云ふやうな結果的事実に左右される為には、餘りにデリケイトに出来てゐたのである。そこで內供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損をは恢復しようと試みた。

 以上の内容から見れば、內供が自分の鼻のことに気になっているのは人々からの異様な
目つきと噂である。この点について、吉田精一は次のように説明している。

   ふつうに考えると、肉体的な不幸は、慣れれば自然にある程度こだわりがとれるはずである。ことに、学問もあり、仏に仕えて悟りに近づいているはずの高徳の僧ならば、なおさらのことだ。しかし、この內供はそうではない。かれは卑俗な名誉心や虚栄心の持ち主で、悟りを開いた高僧らしく見せかけようとするいやらしさがある。新しい治療をする場合にも、なんのかのと、ていさいばかりつくろっている。その点、俗人と少しもかわらず、いやそれ以上の気どり屋である。

自分の欠点について、俗人と同じな気持ちを持っている內供は様々な方法を試した。
さらに、內供の働きがけを見るために、それに関連する場面を表(一)にまとめて見
た。
表(一)內供の試した方法と內供の反応
內供の試した方法內供の反応
これは人のゐない時に、鏡へ向つて、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫を凝らして見た。どうかすると、顔の位置を換へるだけでは、安心が出来なくなつて、頬杖をついたり頤の先へ指をあてがつたりして、根氣よく鏡を覗いて見る事もあつた。しかし自分でも滿足する程、鼻が短く見えた事は、是までに唯の一度もない。時によると、苦心すればする程、却て長く見えるやうな氣さへした。內供は、かう云ふ時には、鏡を箱へしまひながら、今更のやうにため息をついて、不承不承に又元の經机へ、觀音經をよみに帰るのである。
それから又內供は、絶えず人の鼻を氣にしてゐた。池の尾の寺は、僧供講説などの屡行はれる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て續いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしてゐる。従つてこへ出入りする僧俗の類も甚多い。內供はかう云ふ人々の顔を根氣よく物色した。一人でも自分のやうな人間を見つけて、安心がしたかつたからである。だから內供の眼には、紺の水干も白の帷子もはいらない。まして柑子色の帽子や、椎鈍の法衣なぞは、見慣れてゐるだけに、有れども無きが如くである。內供は人を見ずに、唯、鼻を見た。--しかし鍵鼻はあつても、內供のやうな鼻は一つも見當らない。その見當らない事が度重なるに従つて、內供が人と話しながら、思はずぶらりと下つてゐる鼻の先をつまんで見て、年甲斐もなく顔を赤めたのは、全くこの不快に動かされての所為である。
 最後に、內供は、内典外典の中に、自分と同じやうな鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさへ思つた事がある。けれども、目連や、舎利□の鼻が長かつたとは、どの經文にも書いてない。無論龍樹や馬鳴も人並の鼻を備へた菩薩である。內供は、震旦の話の序に蜀漢の劉玄德の耳が長かつたと云ふ事を聞いた時に、それが鼻だつたら、との位自分は心細くなくなるだらうと思つた。
內供がかう云ふ消極的な苦心をしながらも、一方では又、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざこに云ふ迄もない。內供はこの方面でも殆出来るだけの事をした。烏瓜を煎じて飲んで見た事もある。鼠の尿を鼻へなすつて見た事もある。 しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと□の上にぶら下げてゐるではないか。
所が或は年の秋、內供の用を兼ねて、京へ上つた弟子の僧が、知己の醫者から長い鼻を短くする法を教はつて來た。その醫者と云ふのは、もと震旦から渡つて來た男で、當時は長楽寺の供僧になつてゐたのである。內供は、いつものやうに、鼻などは氣にかけないと云ふ風をして、わざとその法もすくにやつて見ようとは云はずにゐた。さうして一方では、氣輕な口調で、食事の度毎に、弟子の手數をかけるのが、心苦しいと云ふやうな事を云つた。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待つてゐたのである。(中略)弟子の僧は、內供の豫期通り、口を極めて、この法を試みる事を勸め出した。さいして、內供自身も亦、その豫期通り、結局この熱心な勸告に聽從する事になつた。

表(一)から見ると、內供は色々な方法を試した。まず、人がいない時、鏡へ向って、様々な角度で自分の鼻を映して、根気よくどんな角度で自分の鼻が短く見えるようにとがんばっていた。また、寺へ行く人々の鼻を観察することで、自分の鼻と同じ鼻を持った人を見出したことに努力していた。それから、内典外典の中に、自分のような長い鼻がある人を精一杯探そうとした。しかし、結果は自分とそんな長い鼻を持った人はいないことである。內供はこう言う消極的な長い鼻がある人を見出そうとしたが、失敗した時、それに対して、積極的な方法も試している。たとえば、烏瓜や鼠の尿などを飲んだり、鼻に擦ったりしたこともある。だが、すべては失敗に終ってしまった。この点について勝倉壽一は次のように論じている。

   やはり「何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げてゐる」という、絶望的な結果を見ることになる。こうして、內供の努力は全て徒労に終わり、不快と失望と疎外感という重苦しい感情の鬱積だけが増大し、生来の奇形を宿命として確認させるに至る。毀損した自尊心の回復を計ろうとする空しい足掻きにも似た內供の心理は、たまたま「京へ上つた弟子の僧が、知己の医者から長い鼻を短くする方法を教はつて」来るという予期せざる幸運の出来によって、さらに深い混迷に陥ちて行く。                                                                                 

この論述によると、特別な鼻のせいで、內供の苦悩が窺える。所で、或る日、內供の弟子が友達のお医者さんから長い鼻を短くする方法を知って来た。そのことを聞いた內供の反応は以下のようである。

內供は、いつものやうに、鼻などは氣にかけないと云ふ風をして、わざとその法もすくにやつて見ようとは云はずにゐた。さうして一方では、氣輕な口調で、食事の度毎に、弟子の手數をかけるのが、心苦しいと云ふやうな事を云つた。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待つてゐたのである。弟子の僧にも、內供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに對する反感よりは、內供のさう云ふ策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであらう。弟子の僧は、內供の豫期通り、口を極めて、この法を試みる事を勸め出した。さいして、內供自身も亦、その豫期通り、結局この熱心な勸告に聽從する事になつた 。

 以上の内容によると、內供がこの新しい方法に対しては、実に楽に聞いて、しかも、心の中にもこの方法が試したがるが、表面に平気な顔をした。なぜかというと、內供の内心で、弟子の僧からの勧告で自分を説得することを待っていると同時に、自分の鼻を短くしたがる気持ちを他の人にしらせたくない。それは、この態度で自分の心情を表現したからでる。この点について、勝倉壽一は以下のように説明している。

   その「策略」が成功を奏して、弟子の僧の同情心を動かし、彼はついに弟子の「熱心な勧告に聴従する事にな」るのであるが、そこには弟子の好意に対してさえも自尊心の毀損から身を守ろうとする警戒心が強く働いており、同情と勧告を強要するに至っている。「弟子の僧にも、內供のこの策略がわからない筈はない」のであり、自尊心を守ろうと腐心することが、かえって內供の心の貧しさを見透かされる結果になる。

 確かに吉田精一が言ったように、「かれは卑俗な名誉心や虚栄心の持ち主で、悟りを開いた高僧らしく見せかけようとするいやらしさがある(中略)その点、俗人と少しもかわらず、いやそれ以上の気どり屋である 」だから、內供の愚かさはこの内容で明らかに明白した。そして、內供の鼻を短くした過程は表(二)にまとめて次のようである。

表(二)
過程順序
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしてゐる。そこで弟子の僧は、指も入れられないやうな熱い湯を、すぐに提に入れて、湯屋から汲んで來た。
しかしぢかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯氣に吹かれて顔を火傷する惧がある。
そこで折敷へ穴をあけて、それを提の蓋にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸しても、少しも熱くないのである。
しばらくすると弟子の僧が云つた。--もう茹つた時分でござらう。
內供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは氣がつかないだらうと思つたからである。
鼻は熱湯に蒸されて、蚤の食つたやうにむづ痒い。
弟子の僧は、內供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯氣の立つてゐる鼻を、兩足に力を入れながら、踏みはじめた。
內供は橫になつて、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下に動く眼の前に見てゐるのである。
弟子の僧は、時々氣の毒さうな顏をして內供の禿げ頭を見下ろしながら、こんな事を云つた。--痛うはござらぬかな。醫師は責めて踏めと申したで。ぢやが、痛うござらぬかな。
內供は首を振つて、痛くないと意味を示さうとした。所が鼻を踏まれてゐゆので思ふやうに首が動かない。そこで、上眼を使つて、弟子の僧の足に皸のきれてゐるのを眺めながら、腹を立てたやうな聲で、--痛うはないて。と答へた。實際鼻は所むづ痒い所を踏まれるので、痛いより卻て氣もちのい位だつたのである。
しばらく踏んでゐると、やがて、栗粒のやうなもでが、鼻へ出来はじめた。云はば毛をむしつた小鳥をそつくり丸炙にしたやうな形である。弟子の僧は之を見ると、足を止めて獨り言のやうにかう云つた。--之を鑷子でむけと申す事でござつた。
內供は、不足らしく頰をふくらせて、默つて弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない譯ではない。それは分つても、自分の鼻をまるで物品のやうに取扱ふのが、不愉快に思はれたからである。
內供は、信用しない醫師の手術をうける患者のやうな顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子で脂をとるとのを眺めてゐた。脂は、鳥の羽の莖のやうな形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。
やがて之が一通りすむと、弟子の僧は、ほつと一息ついたやうな顔をして、--もう一度、之を茹でればようござる。と云つた。內供は矢張、八の字をよせたま不服らしい顔をして、弟子の僧の云ふなりになつてゐた。
さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、何時になく短くなつてゐる。これではあたりまへの鍵鼻と大した變りはない。內供はその短くなつた鼻を撫でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極りが悪るさうにおづおづ覗いて見た。
鼻は--あの顎の下まで下つてゐた鼻は、殆嘘のやうに萎縮して、今は僅に上脣の上で意氣地なく殘喘を保つてゐる。所々まだらに赤くなつてゐるのは、恐らく踏まれた時の痕であらう。
かうなれば、もう誰も哂ふものはないのにちがひない。--鏡の中にある內供の顔は、鏡の外にある內供の顔を見て、滿足さうに眼をしばたいた。

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第一章 芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第二節 蜘蛛の糸をめぐって
『蜘蛛の糸』の主人公は键陀多である。『蜘蛛の糸』で注意されていることは、主人公-键陀多が「人を殺したり、家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒。 」である。このような悪人だが、「小さな蜘蛛」を助ける心を持っている。以下は键陀多の場合とその心理転化に分けて論じことにする。まず、键陀多に関する描写を見よう。

この键陀多と云ふ男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒でございますが、それでもたつた一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這つて行くのが見えました。そこで键陀多は早速足を挙げて、踏み殺さうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違ひない。その命を無闇にとると云ふ事は、いくら何でも可哀さうだ。」と、かう急に思ひ返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやつたからでございます。

以上のように、たとえば残酷な人でも、心の底で慈悲の心を持っていることが分かる。すなわち、彼は人間である以上、少しは慈悲心がある。その故に、键陀多は小さい蜘蛛を助けるので、お釈迦様から地獄を脱す機会を与えられた。それは次のようである。

   
何気なく键陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひとそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながち、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。键陀多はこれを見ると、思はず手を拍つて喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄から抜け出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さへも出来ませう。さうすれば、もう針の山へ追ひ上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。かう思ひましたから键陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしつかりとつかみながら、一生懸命に上へとたぐりのぼり始めました。

そうして键陀多は蜘蛛の糸のおかげて、だんだん地獄に脱出した。键陀多が本、自分がいる血の池を見下ろして、心の嬉しさは言うまでもないことである。次のように键陀多に聞いて見た。

   
所がふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうぬ、やはり上へ上へ一心によぢのぼつて来るではございませんか。键陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、暫くは唯、莫迦のやうに大きな口を開いた儘、眼ばかり動かしでおりました。自分一人でさへ斬れさうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪へる事が出来ませう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼつて来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。(中略)今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまふのに違ひありません。

蜘蛛の糸を掴んでいる键陀多がいっぱいな罪人が自分の後を追っていることを見て、第一に頭に浮かんでいるのは自分の安全である。「もし、蜘蛛の糸を切たら、ほかの罪人でもなく、私でも本の地獄へ落とさなければならない。そうすると、私も地獄を逃げられない。」ということを考えている键陀多は思わず、次のことを話した。

そこで键陀多は大きな声を出して、と喚きました。その途端でございます。今まで何ともまかつた蜘蛛の糸が、急に键陀多のぶら下つてゐる所から、ぶつりと音を立てて断れました。ですから、键陀多もたまりません。あつと云ふ間もなく風を切つて、独楽のやうにくるくるまはりながら、見る見る中に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。
 
 
地獄から脱げられた键陀多は思わずに口から滑らした話のために、蜘蛛の糸が切れて、地獄へ返してしまった。自分の安全に深く関わりに键陀多が思わずに「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼつて来た。下りろ。おりろ 」という話により、エゴイズムという人間の醜悪も明白に現れた。すなわち、「利己」という観念は人間の生まれた本能だと言える。

以上の内容から見れば、本文は利己主義を中心としたものが見られる。主人公-键陀多は本、地獄から脱し出す機会を持っていていたが、利己心があるため、かえて、地獄へ帰った。細く蜘蛛の糸も键陀多に対して、厳しい試験だとも言える。角度を変えて見れば、これはお釈迦様が键陀多への人性のテストかもしれない。吉田精一は「どんな罪人にも慈悲の心があること、それによって人間が神仏に救われ得ること。しかし自分ひとりだけよい目にあおうとするエゴイズムが、結局は他の人々を救われないものにするとともに自分をも破滅させる。 」と説明している。そのゆえに、エゴイズムは人間が生きるために必要であるが、そのエゴイズムは他を破滅させるばかりでなく、自己をも滅ぼすのではないか。
                                                                                                                                        


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第一章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第一節 『羅生門』をめぐって
『羅生門』の主人公は下人と老婆である。『羅生門』は従来、下人のエゴイズムと老婆のエゴイズムの差別を中心として論じられてきた。そこで、エゴイズムを明らかにさせたいために、以下、老婆の場合と下人の場合及びその心理転化に分けて論じることにする。まず、下人に関する描写を見よう。

  どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでゐる遑はない。選んでゐれば、築土の下か、道ばたの土の上で、飢死をするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、犬のやうに棄てられてしまふばかりである。選ばないとすれば—–––下人の考へは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やつとこの局所へ逢着した。(中略)「下人は、手段を選ばないといふ事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつける為に、當然、その後に來る可き「盜人になるより外には仕方がない」と云ふ事を、積極的に肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。

以上のように、下人は羅生門の下で、自分の未来を考えて、どの手段を尽くして、生活ができるかに困っている。生活を支える手段を失った下人は生きるために、下人は「盗人になろう」という結論に辿り付いた。それにもかかわらず、この結論に面した下人は子供から教育されている道徳観、つまり、人間の是非善悪を厳守することのため、「盗人になろう」を積極的に肯定した勇気が出せなかった。その時、もとは羅生門の二階に登って、一晩を楽に過すつもりでいる下人は死人の髪を抜いた老婆に偶然に会った。その出会いは次のようである。

その髪の毛が、一本づ拔けるのに從つて、下人の心からは、恐怖が少しづ消えて行つた。さうして、それと同時に、この老婆に對するはげしい憎惡が、少しづ動いて來た。─いや、この老婆に對すると云つては、語弊があるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感が、一分每に強さを増して來たのである。

道徳感を強く持っている下人は、老婆のした醜悪な事を見ると、正義感が生じ、それに対する嫌悪感が増してきた。その時、下人の心理は次のようである。

この時、誰かがこの下人に、さつき門の下でこの男が考えてゐた、饑死をするか盗人になるかと云ふ問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であらう。(中略)下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を拔くかわからなかつた。(中略)しかし下人にとつては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を拔くと云ふ事が、それ丈で既に許す可らざるであつた。勿論、下人は、さつき迄自分が、盗人になる氣でゐた事なぞは、とうに忘れてゐるのである。

老婆が死骸の髪を抜いているところを見た下人の示した反応はごく普通であろう。死者を犯す行為を見た下人は、醜悪な行為をしたら、生きるより、飢死したほうが尊厳のあることだと考えいた。この考え方を持っている下人は老婆の行為を詳しく知りたいため、次のように老婆に聞いて見た。

下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。さうして失望すると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑と一しよに、心の中へいつて來た。すると、その氣色が、先方へも通じたのであらう。

死骸の髪を抜いた老婆の「これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの」という答えに対しては下人は、「存外、平凡なのに失望した」と「失望すると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑と一しよに、心の中へいつて來た」とあるように、老婆の平凡な答えに失望したと同時に過去で分らなかったことが分かってきた。その後、下人の心境には変化が見られる。

しかし、之を聞いてゐる中に、下人の心には、或勇気が生まれて來た。それは、さつき門の下で、この男には缺けてゐた勇氣である。さうして、又さつきこの門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然、反對な方向に動かうとする勇氣である。下人は、饑死をする盜人になるかに、迷はなかつたばかりではない。その時のこの男の心もちから云へば、饑死などと云ふ事は、殆、考へる事さへ出来ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。

以上の観点から見れば、下人は老婆の答えから悪への原動力を得たと思われている。なぜというと、善人であった下人が老婆の利己心に左右され、「生存のために、悪い事をしてもいい、これは仕方がないことだから」という考え方を肯定して、盗人になったのである。「これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの」という老婆の答えは、すなわち、下人が生存のために悪人になる道へと歩き出した理由ともなったのである。このように、老婆の答えは下人の持った善悪の価値観を変えた。と同時に、下人が盗人になったのである。一方、老婆の場合はどうかを以下の描写から見よう。

成程な、死人の髮の毛を拔くと云う事は、何ぼう惡い事かもしれぬ。ぢやが、こにゐる死人どもは、皆、その位な事を、されてもい人間ばかりだぞよ。(中略)わしは、この女のした事が惡いとは思うてゐぬ。せねば、 饑死をするのぢやて、仕方がなくした事であろ。(中略)ぢやて、その仕方がない事をよく知つていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。

上の描写から見れば、老婆の利己は純粋的なエゴイズムだと言える。なぜというと、老婆の動機は「これをしなければ、結果は飢死だけでしょう。だから、その結果を避けるために、悪いことをするしかない。これは仕方がないことだから」ということにあるからである。
さらに、老婆の下人の働きがけを見るために、それに関連する場面を表(一)にまとめて見た。

表(一)老婆の動作とそれに対する下人の反応
場合描写下人の反応
初めて下人は老婆が死人の髪を抜いたところを見たばかりした時。今まで眺めてゐた死骸の首に兩手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髪の毛を一本づ拔きはじめた。髪は手に從つて拔けるらしい。 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさへ忘れてゐた。
老婆の髪を抜いた行為に従っての下人の心理転化その髪の毛が、一本づ拔けるのに從つて、下人の心からは、恐怖が少しづ消えて行つた。さうして、それと同時に、この老婆に對するはげしい憎惡が、少しづ動いて來た。(中略)恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であらう。 この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した木片のやうに、勢よく燃え上り出してゐたのである。
老婆の理由を聞いた下人の感じである。下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。さうして失望すると同時に、又前の憎惡が、冷な侮蔑と一しよに、心の中へいつて來た。すると、その氣色が、先方へも通じたのであらう。 意外的な答えを聞いて、期待している心はまた、前の気分に返した。
老婆がこの行為の動機を次に解釈している事を聞いた下人の心も何か知ることがない勇気を生まれて来た。わしは、この女のした事が惡いとは思うてゐぬ。せねば、 饑死をするのぢやて、仕方がなくした事であろ。(中略)ぢやて、その仕方がない事をよく知つていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。 之を聞いてゐる中に、下人の心には、或勇気が生まれて來た。それは、さつき門の下で、この男には缺けてゐた勇氣である。さうして、又さつきこの門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然、反對な方向に動かうとする勇氣である。
最後、下人の動作である。では、己が引剝をしようと恨むまいな。己のさうしなければ、饑死をする體なのだ。 下人は、すばやく、老婆の着物を剝ぎとつた。それから、足にしがみつかうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。

表(一)によると、下人は初めて老婆が死人の髪を抜いたところを見た時、恐怖と好奇心のあまり、呼吸も忘れていた。と同時に、老婆の髪を抜いた行為を見た下人は初めての恐怖から死者を犯したことへの怒りや正義感を心の底から湧いてきた。この正義感のために、下人は飢死しても、道徳を失う事をしないという考え方を浮んできた。それから、老婆に理由を聞いた下人は、最初、老婆の答えに対しての失望すると共に、老婆に対する軽蔑の念も生じてきた。さらに、この行為に対する老婆の解釈を聞いた下人は、老婆の理由を押し付けられて、自分の長い時間で持っていた道徳を捨てて、エゴイズム的考えに巻き込まれた。つまり、人間は生存のために道徳に違反しても構わない、いわゆる利己の本能が窺えるのである。人々が生存のために、平気で盗人になったのではなく、実は、皆の心の中に良知と道徳があり、それを超えるには、もっと大きな勇気がいる。それは、まさしく、渡部芳紀は「<�飢死をする>か<�盗人になる>か、どちらを選ぶか迷っている下人、いや、<�盗人になる><�勇気を出ずにゐた>下人が、<�わしのしてゐた事も悪い事とは思はぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの>という老婆の言葉に理由を得、勇気を得て、盗人になる 」と論じている通りである。「これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの」ということを、自分が生きるには一番大切な理由として認められ、どんな罪悪の事をしても、許される。それで、堂堂と「善」の世界から「悪」の世界へ入っていったのである。
以上のように、下人が持っていた自分の良心を隠して、老婆の論理に説得されたあげくに、盗人になった。下人のエゴイズムについては、伊豆利彦が「もちろん下人は自覚的論理的に考えたのではない。無意識に、衝動的に行動している。しかし飢えに直面した下人の内部には、社会に対する反感が次第に強まっていて、それが老婆の言葉で一挙に爆発したということが出来る 」と述べている。それによると、下人は老婆の言葉に迫り、「エゴイズム」という人性の醜悪さを出したのである。下人のエゴイズムは死亡に面して、生じた人間の本能だと言え、自己を解放していた人性である。それに対して、老婆の心境は飢死をしないために、何をしても許されるということである。この点について、伊豆利彦は「老婆は一切の理想と道徳を否定して、人間のエゴイズム、生きる本能だけを肯定する 」と説明している。それゆえに、何のことより、自身の生存が一番大事であり、道徳に違反しても、論理を守られなくて、仕方がない事だと認めている老婆のエゴイズムは人間の本性だと思われる。
以上のことに照らし合わせると、エゴイズムというのは人間の生まつきの利己心だと考えられる。すなわち、老婆の答えに説得された下人が引き起されたエゴイズムと老婆のエゴイズムとも人性の醜悪な天性であろる。昔から従っていた論理と道徳は、一旦、自身に関する生存と衝突すると、すぐ捨てられたものになる。良人の下人は盗人になろうという考えが最初、道徳にとらえられたが、老婆の説明を聞いた後、生きるために何をしてもかまわないというエゴイズムが下人の心に芽が生えてきたのである。それで、エゴイズムは、人間の本能の一部分だと言えるのではないか。





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一.研究動機
黒澤明のおかげで、映画化とされた芥川龍之介の作品『羅生門』が一層知られるようになった。そして、日常生活中、結果もない、答えもない、謎のような事件を「羅生門」と自然に言われている。専門学校の時、初めて芥川龍之介の作品『羅生門』を読んだ。あの時の私は、その中の複雑な人間の情けがあまりよくわからなかった。そして、大学の授業で『鼻』を勉強した時、その中に描いた人間の自利が印象的であった。それから引き継いで、芥川龍之介の作品『地獄変』を読んだ。作品中の情景描写、物語の語る手法、特に人間の醜悪な生まれつき、諧謔を含んだ軽妙な筆致はとても印象的だった。さらに、これらの作品のいずれは『今昔物語』、『源平盛物語』、『平家物語』などの日本の古典文学によったもので、いわゆる歴史小説だということを知った私はますます芥川の創作した動機及び歴史小説に現しているエゴイズムに興味を持つようになった。したがって、「芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム」をテーマにし、卒業論文を書くことにしたのである。

二.先行研究
芥川龍之介の歴史小説を論ずるなら、『今昔物語』などの日本の古典文学から材料を採ったことを無視してはならない。この点について伊豆利彦は次のように論じている。

芥川における精神的な革命、新しい芸術への開眼は、生命の発見であり、人間の発見であった。芥川は固定的な善悪の観念にとらえられ、その対立葛藤に悩んでいた。この善悪を超えた激しい生命の燃焼に、芥川は人間を発見し、芸術を発見した。芥川が『今昔物語』の世界に感動し、そこに自分自身の現代的な文学の主題を見出すようになったのは、この精神的な革命と密接不可分である。(中略)古代といい、平安といい、王朝といえば、いたすら『源氏物語』に見られるような優美な宮廷の世界をのみ思いうかべる一般的な風潮に対して、芥川は『今昔物語』を埋もれた古典の世界から掘り出して、そこに現世の内なる「修羅、餓鬼、畜生の世界」をざまざまと見た。そしてそこになまなましい「野性の美」を見出し、「人間喜劇」を見た。当時は未だ一般には『今昔物語』はそれほど高い文学的評価を与えられていなかった。芥川における『今昔』の発見はそれだけ大きな意味を持っていたということが出来る。

この論述によると、芥川の「歴史小説」は大きく価評されていることが窺える。次に、
『今昔物語』について、芥川がどう考えているかを見よう。伊豆利彦は次のように説明し
ている。

芥川はまた『今昔』の写生的筆致について述べ、それは当時の人々の精神的争闘をもやはり鮮やかに描き出していると指摘した。「彼等もやはり僕等のやうに娑婆苦の為に呻吟した」のであり、『今昔』は「最も野蛮に、-或いは殆ど残酷に彼等の苦しみを写してゐる」と述べている。

上述したように、『今昔物語』の中に社会の底の暗い間の中にうごめいていて、生まれ
ついていた人間の醜悪さを掘り出した芥川の姿勢が見られる。それから、『今昔物語』に
おける「エゴイズム」に対して、芥川が感動した原因を、伊豆利彦では次のように分析し
ている。

芥川は支配権力による民衆支配の道具としての宗教、道徳、思想を、いつわりのものとして強く排撃する。それは人間てき生命を抑圧し、人間の醜悪を隠蔽し、偽善と虚飾を強制するである。芥川はそれからの解放を痛切に求めていた。平安末期、『今昔』の世界が芥川にとって魅力ある時代であったのはこのためである。たしかにそれは暗黒の時代であった。無法の時代であり、無明の時代であった。しかしこの暗黒の内部において、社会秩序の枠の中で窒息し、宗教、道徳の権威によっておしゆがめられた人間性が、新しい息吹きをもってよみがえり、赤裸々な自己を主張して躍動する。それはまさしく、「現状からかけ離れた愉快な」時代であった。

上の論述から、『今昔物語』を読んだ芥川が感動した原因が人性の反発にあることが明白である。そして、芥川が人間のエゴイズムを深刻的に体験して、作品を完成したことについて、芥川は『あの頃の自分の事』の中で、「自分は半年前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになる気が沈んだから、その反対になる可く現状と懸け離れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。そこでとりあへず先、今昔物語から材料を取って、この二つの小説(『羅生門』と『鼻』)を書いた」 と説明している。これを見れば、芥川が人間のエゴイズムを作品の主題として、創作したのは、自分の体験によったことが明白になる。そして、伊豆利彦は芥川が悪い人柄を掘り出した原因を次のように解釈している。

芥川は暗黒そのもの、人間が醜悪なエゴイズムを露出して生きるとそのことを肯定し、讃美したのではない。ブルジョア的俗物主義の社会的外面的な道徳や宗教が、人間的生命を疎外して、自己=人間の醜悪さを隠蔽し、偽善と虚飾を誇示することに反発し、真実の人間的生存と救済を求めたのである。

上の引用によると、芥川が自分の醜悪をまともに正視すればこそ、新しい人格が生まれることと思ったことが明瞭になる。「自分の醜悪を隠蔽し、自己を合理化し道徳化するものは、現状を肯定し、虚偽の中に生き継ぐけるものである。芥川は自己の醜悪を露出して生き、それはによって傷つくものにこそ、新しい人間よみがえりの可能性を見た」 と言った伊豆の主張は、確かに示唆的で、新たな観念だと言えよう。伊豆利彦はこの論点に関して、以下のように論じている。

生活の手段をうしなうことによって、この青年は道徳的思想的基盤をうしない、暗い巷をあてもなくさまよっているのである。彼は新しい世界へつき出すのは、老婆の、人間は誰でも醜悪なもので、こうしなければ餓え死にするしかないのだという言葉だった。下人はこの老婆の言葉に説得されたから、老婆をつき倒し、引きはいだのではい。老婆に対する半発が彼を前へ突き出したのである。そうでなければ老婆に暴力をふるうことはしなかったであろう。なるほど老婆の言葉はもっともな理屈であった。しかしそのもっともらしい、したり顔の理屈を下人は憎んだ。老婆が自分を合理化するもっともらしい論理で、自分自身がつき倒され、おしつけられ、引きはがれる所に作者の感じた痛快さがある。

上の引用文から、芥川龍之介が新しい領域を開拓して表現した人の心に隠れていた醜悪さがありありと見られる。
以上の論点を再びまとめてみると、次のようである。芥川が『今昔物語』から材料を採って小説を書くまでは、日本の古典文学の世界は優美なものだと思われがちであるが、そうした中で「エゴイズム」という人間の生まれつきの醜悪を芥川が重要な主題とし、書き出した芥川の歴史小説は確かに特異に見える。エゴイズムが一体どのように芥川文学、特に彼の歴史小説に表現されているかは、研究に価する課題だと思って、芥川龍之介の「歴史小説におけるエゴイズム」をテーマにしたのである。

三.研究内容及び方法
本論文は「芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム」をテーマにした研究である。具体的に大正3年から7年までの作品、『羅生門』、『鼻』、『芋粥』、『蜘蛛の系』の四作品を研究内容と限定したい。そして、研究方法としては、文献調査法で行うことにする。以下、三つのステップを踏えた上で、研究対象としたものにアプローチしていきたい。

1.まず、発表順にこの四作品における「エゴイズム」を分類し、各作品に現れている特色を明らかにする。
2.次に、各作品の特色を見出した上、各作品にある共通点及び相違点を比較する。また、その間に見られる変遷をも究明したい。
3.それから、第2点でまとめた「エゴイズム」を芥川龍之介の生い立ちに照らし合わせながら、そのかかわりを明白にさせるように作家論へと発展させていく。

以上のように、上述した三つのステップに沿って、芥川龍之介の歴史小説におけるエ
ゴイズムの内実を究めたいのである。


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