第一章芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第三節 鼻をめぐって
 『鼻』の主人公は禅智内供である。この内供は寺院の高僧であり、しかも、この内供は特別な鼻があるので、有名人になった。一方、内供はこのことに、大変困っている。なぜかというと、この鼻が長すぎて大変な不便だからである。以下は内供の長い鼻のために感じ不便さに関する内容を見よう。

   そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ座らせて、飯を食ふ間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げてゐて貰ふ事にした。しかしかうして飯を食ふと云ふ事は、持上げてゐる弟子にとつても、持上げられてゐる内供にとうっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代わりをした中童子が、嚏を拍子に手がふるへて、鼻を粥の中へ落ちした話は、當時京都まで喧傳された。-けれどもこれは内供にとつて、決して鼻を苦に病んだ重な理由ではない。内供は實にこの鼻によつて傷けられる自尊心の為に苦しんだのである。

 以上のように、内供が困る理由は明白である。寺院の高僧としての内供がこんなおかしい鼻に困ったが、本当は自尊心が傷けられるである。その同時に、内供もこの鼻によって引き起こした噂に気にする。その部分は次のようである。

   池の尾の町の者は、かう云ふ鼻をしてゐる禪智內供の為に、內供の俗でない事を仕合せだと云つた。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思つたからである。中には又、あの僧だから家出したのだらうと批評する者さへあつた。しかし內供は、自分が僧である為に、幾分でもこの鼻に煩される事が少なくなつたとは思つてゐない。內供の自尊心は、妻帯と云ふやうな結果的事実に左右される為には、餘りにデリケイトに出来てゐたのである。そこで內供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損をは恢復しようと試みた。

 以上の内容から見れば、內供が自分の鼻のことに気になっているのは人々からの異様な
目つきと噂である。この点について、吉田精一は次のように説明している。

   ふつうに考えると、肉体的な不幸は、慣れれば自然にある程度こだわりがとれるはずである。ことに、学問もあり、仏に仕えて悟りに近づいているはずの高徳の僧ならば、なおさらのことだ。しかし、この內供はそうではない。かれは卑俗な名誉心や虚栄心の持ち主で、悟りを開いた高僧らしく見せかけようとするいやらしさがある。新しい治療をする場合にも、なんのかのと、ていさいばかりつくろっている。その点、俗人と少しもかわらず、いやそれ以上の気どり屋である。

自分の欠点について、俗人と同じな気持ちを持っている內供は様々な方法を試した。
さらに、內供の働きがけを見るために、それに関連する場面を表(一)にまとめて見
た。
表(一)內供の試した方法と內供の反応
內供の試した方法內供の反応
これは人のゐない時に、鏡へ向つて、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫を凝らして見た。どうかすると、顔の位置を換へるだけでは、安心が出来なくなつて、頬杖をついたり頤の先へ指をあてがつたりして、根氣よく鏡を覗いて見る事もあつた。しかし自分でも滿足する程、鼻が短く見えた事は、是までに唯の一度もない。時によると、苦心すればする程、却て長く見えるやうな氣さへした。內供は、かう云ふ時には、鏡を箱へしまひながら、今更のやうにため息をついて、不承不承に又元の經机へ、觀音經をよみに帰るのである。
それから又內供は、絶えず人の鼻を氣にしてゐた。池の尾の寺は、僧供講説などの屡行はれる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て續いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしてゐる。従つてこへ出入りする僧俗の類も甚多い。內供はかう云ふ人々の顔を根氣よく物色した。一人でも自分のやうな人間を見つけて、安心がしたかつたからである。だから內供の眼には、紺の水干も白の帷子もはいらない。まして柑子色の帽子や、椎鈍の法衣なぞは、見慣れてゐるだけに、有れども無きが如くである。內供は人を見ずに、唯、鼻を見た。--しかし鍵鼻はあつても、內供のやうな鼻は一つも見當らない。その見當らない事が度重なるに従つて、內供が人と話しながら、思はずぶらりと下つてゐる鼻の先をつまんで見て、年甲斐もなく顔を赤めたのは、全くこの不快に動かされての所為である。
 最後に、內供は、内典外典の中に、自分と同じやうな鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさへ思つた事がある。けれども、目連や、舎利□の鼻が長かつたとは、どの經文にも書いてない。無論龍樹や馬鳴も人並の鼻を備へた菩薩である。內供は、震旦の話の序に蜀漢の劉玄德の耳が長かつたと云ふ事を聞いた時に、それが鼻だつたら、との位自分は心細くなくなるだらうと思つた。
內供がかう云ふ消極的な苦心をしながらも、一方では又、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざこに云ふ迄もない。內供はこの方面でも殆出来るだけの事をした。烏瓜を煎じて飲んで見た事もある。鼠の尿を鼻へなすつて見た事もある。 しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと□の上にぶら下げてゐるではないか。
所が或は年の秋、內供の用を兼ねて、京へ上つた弟子の僧が、知己の醫者から長い鼻を短くする法を教はつて來た。その醫者と云ふのは、もと震旦から渡つて來た男で、當時は長楽寺の供僧になつてゐたのである。內供は、いつものやうに、鼻などは氣にかけないと云ふ風をして、わざとその法もすくにやつて見ようとは云はずにゐた。さうして一方では、氣輕な口調で、食事の度毎に、弟子の手數をかけるのが、心苦しいと云ふやうな事を云つた。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待つてゐたのである。(中略)弟子の僧は、內供の豫期通り、口を極めて、この法を試みる事を勸め出した。さいして、內供自身も亦、その豫期通り、結局この熱心な勸告に聽從する事になつた。

表(一)から見ると、內供は色々な方法を試した。まず、人がいない時、鏡へ向って、様々な角度で自分の鼻を映して、根気よくどんな角度で自分の鼻が短く見えるようにとがんばっていた。また、寺へ行く人々の鼻を観察することで、自分の鼻と同じ鼻を持った人を見出したことに努力していた。それから、内典外典の中に、自分のような長い鼻がある人を精一杯探そうとした。しかし、結果は自分とそんな長い鼻を持った人はいないことである。內供はこう言う消極的な長い鼻がある人を見出そうとしたが、失敗した時、それに対して、積極的な方法も試している。たとえば、烏瓜や鼠の尿などを飲んだり、鼻に擦ったりしたこともある。だが、すべては失敗に終ってしまった。この点について勝倉壽一は次のように論じている。

   やはり「何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げてゐる」という、絶望的な結果を見ることになる。こうして、內供の努力は全て徒労に終わり、不快と失望と疎外感という重苦しい感情の鬱積だけが増大し、生来の奇形を宿命として確認させるに至る。毀損した自尊心の回復を計ろうとする空しい足掻きにも似た內供の心理は、たまたま「京へ上つた弟子の僧が、知己の医者から長い鼻を短くする方法を教はつて」来るという予期せざる幸運の出来によって、さらに深い混迷に陥ちて行く。                                                                                 

この論述によると、特別な鼻のせいで、內供の苦悩が窺える。所で、或る日、內供の弟子が友達のお医者さんから長い鼻を短くする方法を知って来た。そのことを聞いた內供の反応は以下のようである。

內供は、いつものやうに、鼻などは氣にかけないと云ふ風をして、わざとその法もすくにやつて見ようとは云はずにゐた。さうして一方では、氣輕な口調で、食事の度毎に、弟子の手數をかけるのが、心苦しいと云ふやうな事を云つた。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待つてゐたのである。弟子の僧にも、內供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに對する反感よりは、內供のさう云ふ策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであらう。弟子の僧は、內供の豫期通り、口を極めて、この法を試みる事を勸め出した。さいして、內供自身も亦、その豫期通り、結局この熱心な勸告に聽從する事になつた 。

 以上の内容によると、內供がこの新しい方法に対しては、実に楽に聞いて、しかも、心の中にもこの方法が試したがるが、表面に平気な顔をした。なぜかというと、內供の内心で、弟子の僧からの勧告で自分を説得することを待っていると同時に、自分の鼻を短くしたがる気持ちを他の人にしらせたくない。それは、この態度で自分の心情を表現したからでる。この点について、勝倉壽一は以下のように説明している。

   その「策略」が成功を奏して、弟子の僧の同情心を動かし、彼はついに弟子の「熱心な勧告に聴従する事にな」るのであるが、そこには弟子の好意に対してさえも自尊心の毀損から身を守ろうとする警戒心が強く働いており、同情と勧告を強要するに至っている。「弟子の僧にも、內供のこの策略がわからない筈はない」のであり、自尊心を守ろうと腐心することが、かえって內供の心の貧しさを見透かされる結果になる。

 確かに吉田精一が言ったように、「かれは卑俗な名誉心や虚栄心の持ち主で、悟りを開いた高僧らしく見せかけようとするいやらしさがある(中略)その点、俗人と少しもかわらず、いやそれ以上の気どり屋である 」だから、內供の愚かさはこの内容で明らかに明白した。そして、內供の鼻を短くした過程は表(二)にまとめて次のようである。

表(二)
過程順序
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしてゐる。そこで弟子の僧は、指も入れられないやうな熱い湯を、すぐに提に入れて、湯屋から汲んで來た。
しかしぢかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯氣に吹かれて顔を火傷する惧がある。
そこで折敷へ穴をあけて、それを提の蓋にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸しても、少しも熱くないのである。
しばらくすると弟子の僧が云つた。--もう茹つた時分でござらう。
內供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは氣がつかないだらうと思つたからである。
鼻は熱湯に蒸されて、蚤の食つたやうにむづ痒い。
弟子の僧は、內供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯氣の立つてゐる鼻を、兩足に力を入れながら、踏みはじめた。
內供は橫になつて、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下に動く眼の前に見てゐるのである。
弟子の僧は、時々氣の毒さうな顏をして內供の禿げ頭を見下ろしながら、こんな事を云つた。--痛うはござらぬかな。醫師は責めて踏めと申したで。ぢやが、痛うござらぬかな。
內供は首を振つて、痛くないと意味を示さうとした。所が鼻を踏まれてゐゆので思ふやうに首が動かない。そこで、上眼を使つて、弟子の僧の足に皸のきれてゐるのを眺めながら、腹を立てたやうな聲で、--痛うはないて。と答へた。實際鼻は所むづ痒い所を踏まれるので、痛いより卻て氣もちのい位だつたのである。
しばらく踏んでゐると、やがて、栗粒のやうなもでが、鼻へ出来はじめた。云はば毛をむしつた小鳥をそつくり丸炙にしたやうな形である。弟子の僧は之を見ると、足を止めて獨り言のやうにかう云つた。--之を鑷子でむけと申す事でござつた。
內供は、不足らしく頰をふくらせて、默つて弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない譯ではない。それは分つても、自分の鼻をまるで物品のやうに取扱ふのが、不愉快に思はれたからである。
內供は、信用しない醫師の手術をうける患者のやうな顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子で脂をとるとのを眺めてゐた。脂は、鳥の羽の莖のやうな形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。
やがて之が一通りすむと、弟子の僧は、ほつと一息ついたやうな顔をして、--もう一度、之を茹でればようござる。と云つた。內供は矢張、八の字をよせたま不服らしい顔をして、弟子の僧の云ふなりになつてゐた。
さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、何時になく短くなつてゐる。これではあたりまへの鍵鼻と大した變りはない。內供はその短くなつた鼻を撫でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極りが悪るさうにおづおづ覗いて見た。
鼻は--あの顎の下まで下つてゐた鼻は、殆嘘のやうに萎縮して、今は僅に上脣の上で意氣地なく殘喘を保つてゐる。所々まだらに赤くなつてゐるのは、恐らく踏まれた時の痕であらう。
かうなれば、もう誰も哂ふものはないのにちがひない。--鏡の中にある內供の顔は、鏡の外にある內供の顔を見て、滿足さうに眼をしばたいた。

表(二)によると、內供の鼻を短くした過程がわかるようになった。勝倉壽一は「奇怪な治療を受ける時の內供の心理の解剖もまた詳細を極めており、弟子の処置と言葉から微妙に自尊心を傷つけられる姿が浮き彫りにされる 」と述べている。その点について、吉田精一は次のように話している。

   そこに現れる自嘲、不服、不愉快などの感情は、鼻の治療が彼の毀損した自尊心の回復を計るための最善の方策として行われたにもかかわらず、一面で、鼻が彼の自尊心の象徴として、それが物品のように取り扱われることに微妙に自尊心を傷つけられることになるという、心理の矛盾をそれとして理解し得ない哀れさを露呈したものである。

以上の観点から見れば、その過程の中で、「もう茹つた時分でござらう」という僧の言葉に「苦笑した」。それから、「內供は、不足らしく頰をふくらせて、默つて弟子の僧のするなりに任せて置いた。」という気持ちで、「自分の鼻をまるで物品のやうに取扱ふのが、不愉快に思はれたからである。」と、內供はそうと考えていた。さらに、「內供は、信用しない醫師の手術をうける患者のやうな顔をして、不承不承」に聞く、「もう一度、之を茹でればようござる。」という言葉を聞いた內供は「矢張、八の字をよせたま不服らしい顔をして」いるなどによると、內供の心理転化はここで明らかに見られる。それから、鼻を短くした內供の心情は次のようである。

しかし、その日はまだ一日、鼻が又長くなりはしないかと云ふ不安があつた。そこで內供は誦經する時にも、食事をする時にも、暇さへあれば手を出して、そつと鼻の先にさはつて見た。が、鼻は行儀よく脣の上に纳まつてゐるだけで、格別それより下へぶら下つて來る氣色もない。それから一晚寝てあくる日早く眼がさめると內供は先、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。內供はそこで、幾年にもなく、法華經書寫の功を積んだ時のやうな、のびのびした氣分になつた。

 ここでは、內供が「かうなれば、もう誰も哂ふものはないのにちがひない」という気持ちを持ったが、「その日はまだ一日、鼻が又長くなりはしないかと云ふ不安」を持って暮らした。それで、「誦經する時にも、食事をする時にも、暇さへあれば手を出して、そつと鼻の先にさはつて見た」ことも時々ある。しかし、短くした鼻は依然「行儀よく脣の上に纳まつてゐるだけで、格別それより下へぶら下つて來る氣色もない」。そのために、內供は従来、法華經書寫の功を積んだ時、のんびりした気分があるようになった。ところが、二三日が経ったあと、內供は意外な事實を発見した。それは次のようである。

池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しさうな顔をして、話も碌々せずに、ぢろぢろ內供の鼻ばかり眺めてゐた事である。それのみならず、嘗、內供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子なぞは、講堂の外で內供と行きちがつた時に、始めは、下を向いて可笑しさをこらへてゐたが、とうとうこらへ兼ねたと見えて、一度にふつと吹き出してしまつた。用を云ふつかつた下法師たちが、面と向つてゐる間だけは、慎んで聞いてゐても、內供が後さへ向けば、すぐにくすくす笑ひ出したのは、一度や二度の事ではない。

 ここで、內供は奇怪な現象を発見した。それは侍や中童子などは、內供の短くした鼻を見た時、前より、一層可笑しい顔をしたことである。內供はこれらの情景を見た時、最初は自分の顔が変わったことを原因として考えていたが、「とうもこの解釋だけでは十分に說明がつかないやうである」から、內供はやはり中童子や下法師達の笑顔がなんか可笑しいと思っている。「前にはあのやうにつけつけとは哂はなんだて」と、內供は、「誦しかけた經文をやめて、禿げ頭を傾けながら、時々かう呟く事」があった。その時、四五日前、鼻が長かった事を思い出した時、「今はむげにいやしくなりさかれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」という感じがある。內供に対して、この問題についての答えは分らないでははないが、それで深い息がある。それは以下のようである。

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出來ると今度はこつちで何となく物足りないやうな心もちがする。少し誇張して云へば、もう一度その人を、同じ不幸に陷れて見たいやうな氣にさへなる。さいして何時の間にか消極的ではあるが、或敵意をその人に對して抱くやうな事になる。--內供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思つたのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍觀者の利己主義をそれとなく感づいたからに外ならない。

 ここで、この作品の主題を明らかになった。作者が言った通り、人間は不幸な人に同情する気持ちと幸せな人に不服する気持ちと二つ矛盾した心情がある。この二つ矛盾した気持ちに左右された內供も、他人の目に映る自己の姿を基準にすることにより、自分の存在を捉えられないで、自己の価値に迷って、判断がつかなくなった。それから、內供がかえて短かった鼻を恨んだ心情は次のようである。

そこで內供は日毎に機嫌が悪くなつた。二言目には、誰でも意地悪く叱りつける。しまひには鼻の療治をしたあの弟子の僧でさへ、「內供は法慳貪の罪を受けられるぞ」と陰口をきく程になつた。殊に內供を忿らせたのは、例の惡戲な中如童子である。或日、けたたましく犬の吠える聲がするので、內供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片をふりまはして、毛の長い、瘦せた尨犬を逐ひまはしてゐる。それも唯、逐ひまはしてゐるのではない。內供は、中童子の手からその木の片をひつたくつて、したかその顔を打つた。木の片は以前の鼻持上げの木だつたのである。內供はなまじひに、鼻の短くなつたのが、反て恨めしくなつた。

 ここで、內供の長い鼻だった時のことを思い出して、短かった鼻をかえて恨んだ、矛盾した気持ちを話し出した。もとは、異様に長い鼻をほかの人の目に気にした內供は烏瓜を煎じて飲んだり、鼠の尿を鼻へなすったりするような、さまざまな仕方を試みた結果、漸く長い鼻を短かった。しかし、ほかの人の嘲笑した目のために、臆病になって迷った。この点について勝倉壽一は以下のように述べている。

鼻の治癒によって自尊心の回復を計るという大きな事件を経験したにもかかわらず、彼は以前と同じ状態に立ち戻り、再び自尊心の毀損に傷つき、回復を試みる無駄な営みを続けなければならない。畢竟、それは自らの道をしかと見定め貫く自我の確立なしに、対人関係の中で揺れ動く自意識に振り回されて、自尊心の保持を鼻の治療に賭けて傷を深めていくという、人間の営為の愚かで哀れな矛盾と悪循環を摘出したのに外ならないのである。

 以上の内容から見ると、周囲の人の目の下に生活した內供が皆の意見に揺れて動いた內供の愚かと哀れは明白である。当初、自尊心を治すために、短かった鼻がかえて、內供に奇怪な嘲笑をもたらしたことは意外である。自分の存在した価値が分らなかったことは內供が一番大切な問題だと思われる。それから、內供の鼻の状況については次のようである。

すると或夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸の鳴る音が、うるさい程枕に通つて來た。その上、寒さもめつきり加はつたので、老年の內供は寢つかうとしても寢つかれない。そこで床の中でまじまじしてゐると、ふと鼻が何時になく、むづ痒いのに氣がついた。手をあてて見ると少し水氣が來たやうにむくんでゐる。とうやらそこだけ、熱さへもあるらしい。--無理に短うしたで、病が起つたのかも知れぬ。內供は、佛前に香花を供へるやうな恭しい手つきて、鼻を抑へながら、かう呟いた。翌朝、內供が何時ものやうに早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏や橡が一晩の中に葉を落したので、庭は黃金を敷いたやうに明い。塔の屋根には霜が下りてゐるせゐであらう。まだうすい朝日に、九輪がまばゆく光つてゐる。禪智內供は、蔀を上げた縁に立つて、深く息をすひこんだ。殆、忘れようとしてゐた或感覺が、再內供に歸つて來たのはこの時である。內供は慌て鼻へ手をやつた。手にさはるものは、昨夜の短い鼻ではない。上脣の上から□の下まで、五六寸あまりもぶら下つてゐる、昔の長い鼻である。內供は鼻が一夜の中に、又元の通り長くなつたのを知つた。さうしてそれと同時に、鼻が短くなつたと同じやうな、はればれした心もちが、どこからともなく歸つて來るのを感じた。--かうなれば、もう誰も哂ふものはないにちがひない。內供は心の中でかう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

寝られない內供はなんか鼻が痒く、水気もある感じをし、熱さでもの感じがあって、「無理に鼻を短くしたから、病を起こしたかもしれない。」と呟いた。翌朝、黄金のような銀杏や橡の落葉を庭に敷いていた情景と朝日の九輪がまばゆく光っていることを見た內供は蔀を上げた縁に立って、深く息を吸い込んだ時、突然、殆ど忘れしまっていて、懐かしい感覚が又戻った。漸く短かった鼻が昔の長い鼻に戻った。この意外さに面した內供は異様に平気である。「かうなれば、もう誰も哂ふものはないにちがひない 」という思っていた內供はもう自己の生き方と態度をかろうじて捜し出した。この点について、関口安義は「うすい朝日に塔の屋根の九輪がまばゆく光る描写をも含めると、ここに批判‧中傷に耐え、新しく生き抜こうとする主人公の明るい姿が自然描写の中からも来るのである 」と論じでいる。その故に、いつも周囲の人の目にかまっていた內供がいくらの困難に出遭い、皆の嘲笑を受けていた最後、他人の目から解放した新しい內供の考えはもう生まれたことは明白である。人間として、周囲の人の目に全然かまわないのはたぶん可能性が薄いが、みんなの目にあまり気にすると、皆の意見に振り回される恐れがある。內供のような臆病な性格だと言えるかもしれない。人間なら多かれ少なかれこのような性格を持っていると言えるのではないか。


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