第一章 芥川龍之介の歴史小説におけるエゴイズム

第二節 蜘蛛の糸をめぐって
『蜘蛛の糸』の主人公は键陀多である。『蜘蛛の糸』で注意されていることは、主人公-键陀多が「人を殺したり、家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒。 」である。このような悪人だが、「小さな蜘蛛」を助ける心を持っている。以下は键陀多の場合とその心理転化に分けて論じことにする。まず、键陀多に関する描写を見よう。

この键陀多と云ふ男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒でございますが、それでもたつた一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這つて行くのが見えました。そこで键陀多は早速足を挙げて、踏み殺さうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違ひない。その命を無闇にとると云ふ事は、いくら何でも可哀さうだ。」と、かう急に思ひ返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやつたからでございます。

以上のように、たとえば残酷な人でも、心の底で慈悲の心を持っていることが分かる。すなわち、彼は人間である以上、少しは慈悲心がある。その故に、键陀多は小さい蜘蛛を助けるので、お釈迦様から地獄を脱す機会を与えられた。それは次のようである。

   
何気なく键陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひとそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながち、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。键陀多はこれを見ると、思はず手を拍つて喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄から抜け出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さへも出来ませう。さうすれば、もう針の山へ追ひ上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。かう思ひましたから键陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしつかりとつかみながら、一生懸命に上へとたぐりのぼり始めました。

そうして键陀多は蜘蛛の糸のおかげて、だんだん地獄に脱出した。键陀多が本、自分がいる血の池を見下ろして、心の嬉しさは言うまでもないことである。次のように键陀多に聞いて見た。

   
所がふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうぬ、やはり上へ上へ一心によぢのぼつて来るではございませんか。键陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、暫くは唯、莫迦のやうに大きな口を開いた儘、眼ばかり動かしでおりました。自分一人でさへ斬れさうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪へる事が出来ませう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼつて来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。(中略)今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまふのに違ひありません。

蜘蛛の糸を掴んでいる键陀多がいっぱいな罪人が自分の後を追っていることを見て、第一に頭に浮かんでいるのは自分の安全である。「もし、蜘蛛の糸を切たら、ほかの罪人でもなく、私でも本の地獄へ落とさなければならない。そうすると、私も地獄を逃げられない。」ということを考えている键陀多は思わず、次のことを話した。

そこで键陀多は大きな声を出して、と喚きました。その途端でございます。今まで何ともまかつた蜘蛛の糸が、急に键陀多のぶら下つてゐる所から、ぶつりと音を立てて断れました。ですから、键陀多もたまりません。あつと云ふ間もなく風を切つて、独楽のやうにくるくるまはりながら、見る見る中に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。
 
 
地獄から脱げられた键陀多は思わずに口から滑らした話のために、蜘蛛の糸が切れて、地獄へ返してしまった。自分の安全に深く関わりに键陀多が思わずに「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼつて来た。下りろ。おりろ 」という話により、エゴイズムという人間の醜悪も明白に現れた。すなわち、「利己」という観念は人間の生まれた本能だと言える。

以上の内容から見れば、本文は利己主義を中心としたものが見られる。主人公-键陀多は本、地獄から脱し出す機会を持っていていたが、利己心があるため、かえて、地獄へ帰った。細く蜘蛛の糸も键陀多に対して、厳しい試験だとも言える。角度を変えて見れば、これはお釈迦様が键陀多への人性のテストかもしれない。吉田精一は「どんな罪人にも慈悲の心があること、それによって人間が神仏に救われ得ること。しかし自分ひとりだけよい目にあおうとするエゴイズムが、結局は他の人々を救われないものにするとともに自分をも破滅させる。 」と説明している。そのゆえに、エゴイズムは人間が生きるために必要であるが、そのエゴイズムは他を破滅させるばかりでなく、自己をも滅ぼすのではないか。
                                                                                                                                        


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